私は今台湾で暮らしているけど、先のことは正直言ってまだ全然わからない。
旦那は、仕事のチャンスがあれば日本に行って仕事をしてみたいと言っているし、(今は日本語を勉強中)私も収入のことや環境面でのことを考えたら、日本で生活したほうがいいのかな、と
思うこともある。
ただ、最近は台湾のいいところも沢山見えてくるようになった。最初は、日本に近いようで遠い距離、似ているようで似ていない文化、全然通じない言葉、衛生面の問題、ひどい空気や危ない交通事情などにげんなりしてしまうことも多く、台湾のマイナス面しか見えなかった。しかし、台湾に暮らして2年以上が過ぎ、ようやくここの文化や空気感に慣れてきた。
いちおう日本人の友達や台湾人の友達が何人かでき、旦那の家族とも中国語で意思疎通がはかれるようになった。それとともに、今まで日本のいいところしか見えていなかったのが、段々と、日本の息苦しさや堅苦しさ、面倒くささなど、新しく見えてくることも沢山あった。
結局のところ、どんな国であれ、良いところと、悪いところがあるのだ。
どの面に目を向けるかは、自分自身だし、どこにいたって、自分は自分なのだ。
もちろんどこに住むかという問題はすごく重要なのだけれど、それ以上に自分が何をするか、ということのほうが重要なのだと思うようにもなった。
こうして何とか台湾での生活を確立してきたわけだけれども、年に一度か二度は日本に帰る。
実家でのんびりすることもあれば、友達と一緒にお酒を飲んだり、旦那と日本国内を旅行したりもする。
そして、台湾に帰る段になると、少し混乱することになる。
それは、日本と台湾の空気圧みたいなものが違うからだ。
日本に帰ってすぐの時も、少しばかり戸惑いがある。
自分の身と心を、日本向けに調整しなければいけないからだ。
しかし日本に帰ることは、私にとっては親や友達に会える良い機会だから、その楽しみもあって、わりとすぐにその圧力に慣れてしまう。あるいは、私がもともと日本人だから、ということもあるかもしれない。
それでも、やはりちょっとした違和感は存在する。
そして、日本での生活は常にちょっとした緊張を強いられる。
私の気にしすぎかもしれないけれど、ちょっとしたことで怪訝な顔をされたり、チラ見されたりするような気がして、気が抜けない。
台湾に帰ってくると、そういうものから一気に解放される。
ここの人たちはとにかく、良い意味であまり人のことを気にしない。自分は自分、他人は他人、とあっさりしている。しかし、誤解しないでもらいたいが、彼らは決して冷たいわけではなく、
自然と他人を助けたり手伝ったりすることができる。実に親切で熱い人たちなのだ。
もちろん、日本には良いところも沢山ある。
街も空気もきれいだし、物の品質やデザインがいい。サービスが丁寧だ。そしてなにより安全だ。
こんな風に日本と台湾とを行き来しながら、色々なことを考える。
日本に帰るときはものすごく嬉しいし、日本を離れるときはものすごく寂しい気持ちになる。
それでも、それを繰り返していく。それが、国際結婚するということなのかもしれない。
日本を離れて、しばらくは自分の体がすっと軽くなってしまったような、自分の重力が変わってしまったような気持ちになる。これからまた、台湾生活に向けて、空気圧をうまく調整しなくてはならないのだ。
台湾に戻って、実家に電話をかけて「無事着いたよ」と伝え、荷解きをして、部屋を片付ける。その間、心の中にずっと「寂しい」が静かに鳴り響いている。掃除機をかけ、猫に餌をやって、
友達にメールを打っているうちに、少しずつ「寂しい」の響きが小さくなっていく。
そうして、ぐっすり寝た次の日には、もう違和感も「寂しい」もほとんど消えている。
そういうことを、何回も何回も、これからも繰り返していくのだ。
疲れるし、もうそういうのはいやだ、と思うことは何度もある。
日本から台湾に帰る時、まるで自分の体と心が無理やり半分にちぎられてしまったような気持ちにもなる。
だけれど、日本での生活も、台湾での生活も、私にとっては、もうどちらもすごく大切なものになっている。
悲しいことも多い分、大切なものも多いのだ。
つらいことも多い分、たくさん人とは違った経験もできるのだ。
そう思ってやっていくしかないのだと思う。
いずれにしても、先のことはわからない。
自分に選べることは、思ったよりずっと少ない。
だから、自分にやれることを精一杯やっていくしかないのだと思う。