帰国後の私たちには、自分では気がつかない変化もあったようだった。 娘の桃子は旅を終えた私たちに対して、彼女なりの思いがあったらしく、ここに改めて綴ってもらった。

 

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父は2015年12月に約35年の会社員勤めを終えた。 退職後にしたいことを尋ねると「海外旅行をしたいな」「でも、いろいろ落ち着いてからだね」と。まだ会社勤めの緊張と疲労の混じった笑顔で語り、私は心の底からのんびり過ごしてほしいと願った。

ところが年明け早々、父母はスペインへ行くと言い出した。しかも聖地巡礼の旅を徒歩での敢行。久しぶりの旅行にしてはヘビーな内容に、内心「ゆっくりするはずでは・・・」「ふつう、温泉に浸かったりするものでは・・・」とツッコミを入れたが、ふたりは荷物を軽く済ませるにはどうすればよいか、歩きやすい靴を用意しなくちゃ、と何かに突き動かされるように急ピッチで準備に取り掛かり始めた。子どもが生まれる前のふたりの間に流れていた時間(私が生まれるまで7年間あった)を思い出そうとしているかのようだった。

その年の4月に社会人になって初めての移動を経験したこともあり、気づくとふたりはスペイン旅行から帰国していた。ふたりとも日に焼け、この数十年の苦労やいざこざと折り合いをつけたような、すっきりとした顔をしていた。 巡礼の旅を通じて、どうしようもない事のいろいろに決着をつけ、必要なものだけを持ち帰ったようだった。 

それからはふたりで生活を営むことがばっちり板についた感じだ。ちょうどよい距離感でお互いの気配を感じつつ、心地よい暮らしを日々更新している。広範囲に興味をもち、間隔をおいて会うたびに新しい分野を追いかけている母も、腰を据えて物事を極めようとする父も、楽しむ達人という意味で、わたしと弟の憧れ、先達だ。

エル・カミーノを経て、憑き物が落ちたように穏やかな日々を送っているようにも見えるので、何かもうひと波乱巻き起こる(巻き起こす?)のではないかとドキドキしているのだが、何が起ころうとも歩みを止めずにいればどこかに辿りつけるという確信が、ふたりの間で硬く共有されているし、そのふたりを中心にして私たち家族が集まれば、どんなに苦しいときでも楽しんでしまう強さがあるのではないかと思っている。

 

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サグラダファミリア内から