【ケイコ】

パラドール「王立巡礼救護院」

 

 フィニステーラからサンティアゴ・デ・コンポステーラに戻って皆と別れると、私とケンシはホテルに向かった。今夜泊まるのは、とても楽しみにしていた特別なホテル!

スペインにはパラドールという、独特な宿泊施設がある。半官半民の比較的高級なホテルで、景勝地に新たに建てられたものもあるけれど、人気が高いのは古城など、歴史的な建築物を改修したホテルだから。

私たちは旅の準備をしていたとき、歩き終えた後にはぜひここに泊まろうと、コンポステーラのパラドールに1泊の予約を入れておいた。エル・カミーノを歩き通したご褒美を、事前に用意しておいたのだ。

このパラドールはもともと15世紀末に王立病院として建てられたもので、世界で最も古いホテルのひとつと言われている。ホテルの正面に向かうと、ファサードは細かな彫刻がほどこされていて、とても美しく重厚感がある。私はもともと古い建築物が好きなので、このホテルは特別にわくわくした。

パラドールは外観だけでなく、もちろん中も素敵だった。シックなロビー、回廊で囲まれた中庭。

足を踏み入れるだけでも特別感があった。かつてどんな人々がどんな声を出し、どんな姿でここを行き来していたのか――。中世の匂いの中、ヨーロッパの、スペインの歴史の重さが感じられた。客室の中では、天蓋つきのベッドに興奮! なんとも贅沢な気分で、本物に囲まれた豊かさを味わった。

   

部屋の窓からは、サンティアゴ・デ・コンポステーラの街を広く見渡すことができた。日本でもヨーロッパでも、お城は高台に建てられ、民衆の暮らしがひと目でわかるようにできているのだと感心させられる。王様はこの窓辺に立ち、家々から食事を作る煙が出ている様子を見ては「民は健やかに暮らしているのか」と考えを巡らしたり、その民たちへの責任も感じたりしていたのだろうか?

窓の外を眺めながら、少し王様気分で人々の暮らしを思ってみた。夕焼けの美しい日で、バルコニーから、しばらくふたりで陽の沈むさまを眺めていた。

 

 

【ケンシ】

スペイン人の〝おしゃべりにかける情熱〟に思う

 

 パラドールで優雅な滞在を楽しんだ後、僕らはまたバックパッカーに戻り、スペイン各地をめぐる旅に出た。グラナダ、コルドバ、バルセロナ。相変わらず小さな事件続きの珍道中だったけれど、心と身体のいい休養になったと思う。

 そして僕らはバルセロナから日本に帰国した。1か月の不在の間に、日本はすっかり初夏の陽気になっていた。

 

最後の観光旅行も含めて、僕には今回の旅で欧米人について強く印象に残ったことがあった。彼らは本当におしゃべり好きだ。とくにスペイン人とイタリア人は、人がふたり集まれば旺盛なおしゃべりが始まる。あのパワーは本当にすごい。

あるとき僕とケイコが巡礼路を歩いていると、はるか後ろからベラベラベラ、ベラベラベラ、と男たちの声がだんだん近づいてきた。身体が大きくストライドも長いので、ずんずん進んで僕らを追い越していく。追い越されるときに「ブエン・カミーノ」と挨拶をすると、あちらも「ああ、ブエン・カミーノ」と笑顔を返してくれるが、すぐさまベラベラベラ、とおしゃべりの続きに戻っていく。

ケイコもわりとよくしゃべるほうだが、疲れてくれば自然に口数は少なくなるし、黙って歩くことを楽しむときもある。けれど欧米のペレグリーノたちは黙ることがない。きっと他愛もない話をしているのだろうが、つねに快活な様子で話に花を咲かせている。皆、本当にパワフルにしゃべるな、と感心した。

 

ケイコとマドリッドのホテルに泊まったあくる朝にも、印象的なおしゃべり男たちを見かけた。それはまだ夜明け前のことだった。窓から眼下を見下ろすと、ところどころに街灯がぼんやり灯されただけの真っ暗な街が静かに広がっていた。

すると道の奥のほうから、何かをまくしたてている男たちの声が近づいてきた。酔っ払いがご陽気に騒いでいるのか、あるいはケンカでもしているのかと思ったが、ふたりの男は両手で派手なジェスチャーを交えながら、ただベラベラと大声でおしゃべりをしているだけだった。彼らは姿が見えなくなるまで、騒々しく会話を続けていた。

皆がこんな調子なのだ。人が顔を合わせればいつでもどこでもおしゃべりが始まり、止むことがない。男ふたり連れだろうが、初対面の男女だろうが、年齢が離れていようが、そして静かな暗闇の中だろうが賑やかにしゃべっている。

 

こんな出来事もあった。2日目に泊まったアストルガの食堂で、僕とケイコは3人のペレグリーノと同じテーブルで食事をした。ふたりの娘さんと、ひとりの親父さんだ。僕らはこの3人をてっきり家族だと思っていたのだが、後になって3人とも赤の他人だと知って仰天した。

初対面の後、この3人とはあちこちで顔を合わせていた。それが、あるとき親父さんがひとりでいたので「あれ? 娘さんたちは?」と尋ねると、「娘? なんのこと?」と言うのだ。ケイコが「いつも一緒にいるお嬢さんたちよ。ほら、アストルガでも一緒に食事をしたでしょう」と言うと、「ああ、彼女たちはたまたま会った子たちだよ」と言う。

一緒に食事をしたとき、彼らは何の緊張感も遠慮もなく、ごくストレートに言いたいことを言い合っていた。日本語と違って敬語がないことも関係しているだろうけれど、それだけではない。とにかくわいわいガヤガヤと、イーブンな立場で気兼ねなくしゃべるのだ。その様子からてっきり親子だと思い込んでしまった。

日本人なら、若い女性が見知らぬ親父と打ち解けておしゃべりを楽しむこともないだろうし、年長の男性にひとつの気遣いや遠慮もなく接することもないだろう。エル・カミーノで出会った彼らは皆、ひとりの人間として自分を捉え、他人を捉えていた。そして、とんでもなくおしゃべりだった。

コミュニケーション能力が素晴らしい、という言い方もできる。けれど僕は、実は彼らは黙っていることができないんじゃないかとも思っている。きっと彼らに対するいちばん厳しい拷問は「おしゃべり禁止」だ。彼らはまず、1時間も耐えられないだろう。

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