【ケイコ】4月17日

 巨大香炉が舞い飛ぶ大聖堂の巡礼ミサ

 

 あくる日は、前日とは打って変わって快晴だった。私たちは再び大聖堂に出かけた。大聖堂では毎日正午から、巡礼者のためのミサが開かれている。その中で、巡礼を終えたペレグリーノの祖国と出発地が読み上げられる。と思っていたら、どうやらその日の午前中に到着したペレグリーノの出身地のみのようで、最後まで聞いていても「ハポン」は聞こえなかった。 このことがあったので、ケンシはモンテ・ド・ゴゾに一泊ということにこだわって、アーニャやキルスティンたちと何やら話していたのかと、ようやく分かった。

私たちは、大聖堂とエル・カミーノのシンボルである聖ヤコブに、無事の到着を報告することにした。大聖堂の中に入ると正面に、壮麗な彫刻がほどこされた主祭壇がある。前まで進み出ると、その中に聖ヤコブ像が鎮座していた。

周囲には、ヒロラ(周歩廊)がぐるりと巡り、その外側には放射状に小さな礼拝堂が並んでいた。ペレグリーノはこのヒロラに行列を作って順番を待ち、聖ヤコブ像に後ろから抱きつくようにして感謝の祈りを捧げる。私たちも列に並んで、聖ヤコブに旅の無事を感謝し、お礼の言葉を心の中でつぶやいた。

 

 主祭壇の正面に戻って木製の長椅子に座っていると、旅を終えたペレグリーノたちが続々とやってきた。顔ぶれを見ると、エル・カミーノには世界各国から人々が集まってきているのがわかる。どの顔も、厳しい巡礼の旅をやり遂げて清々しいような表情をしていた。

エル・カミーノの旅が終わったのだ。目の前に果てしないような山並みが続いていて、「今日はあの山の向こうの、もうひとつ向こうまで歩くんだよ」と言われ、「あんなに遠くまで歩けるのかな」と思っていても、一歩を出すことでちゃんと着く。もちろん楽なことではないけれど、気がつくと果てしなく遠いと思っていた場所に、自分が立っている。

こんなふうに小さな目標達成をひとつひとつ重ねて、311キロを歩き通し、私は今コンポステーラ大聖堂にいる。

 

 そんなことを考えていると、やがてミサがはじまった。聖堂内が静まり、司教から巡礼を遂げたペレグリーノたちの国と出発地が読み上げられた。

 このミサの終盤、信じられないような幸運なことがあった。大聖堂には14世紀から使われている吊り下げ式の巨大な香炉「ボタフメイロ(Botafumeiro)」があって、お祭りの日や特別な巡礼団が到着したときだけ、ここにお香が焚かれる。それがどういうわけか、この日にそのセレモニーがおこなわれたのだ! 周囲のペレグリーノたちも驚いて歓声を上げていた。

天井から頭上、はるか高い位置にぶら下げられた銀色のボタフメイロは、重さが約80キロ、高さは人の背丈ほどもある。パイプオルガンの音が鳴り響き讃美歌が始まると、それがスルスルと下りてきて、司祭の手によってお香が焚かれた。すぐに香炉からは白い煙がもうもうと立ち上った。

するとえんじ色の長いローブをまとった数人の司教が、滑車とロープを使い、勢いをつけて吊り下げられた香炉を上下に何度も大きく動かした。香炉はジャンプしながら次第に横に揺れ始め、そのうちブランコのように弧を描いてブラーン、ブラーンと大きく揺れた。香炉はロープがほぼ水平になる天井近くまで持ち上がり、そこから反対側に揺れてまた天井付近まで持ちあがる。香炉から噴き出す白い煙は、聖堂内に柔らかく振りまかれていった。息を飲むような迫力だった。

昔はエル・カミーノの衛生環境があまりよくなくて、ペレグリーノは身体や衣服をなかなか洗うことができなかったという。そのため大聖堂には長旅をしてきたペレグリーノの臭気がこもってしまい、ボタフメイロはそのにおい消しのためにおこなわれ始めたという話がある。またペストなどの病気や邪気を浄化する力を持つと信じられていたという。

ゆったりと大きな弧を描いて揺れるボタフメイロからは、何ともいえない優雅な香りがふわーっと広がっていった。壮大で美しい儀式だった。

日本を出発する前、ベルギー人の友人からボタフメイロのことは聞いていたけれど、めったに遭遇することはできないということだったので、自分が経験できるとは考えてもいなかった。それだけに感激だった。

 

 ボタフメイロが終わって余韻にひたっていると、びっくりするようなことがあった。司教を先頭に、白いローブの司祭たちが後に続き、ミサの参列者の間を練り歩いたそのとき! 司祭の列の中に、見覚えのある顔を発見した。

「あ、あのおじさん!」正装してすました顔をしているけれど、間違いなくペレグリーノ仲間の韓国人のおじさんだ。

彼は同じアルベルゲに泊まったとき、確かに「僕、神父なんだ」と言い、村の教会に説教をしに出掛けていた。でも、まさかコンポステーラ大聖堂のミサにまで登場するなんて、本当に驚いた。彼は堂々としていて、とても立派な晴れ姿だった。

 

 別の形の再会もあった。翌日、大聖堂の街のミュージアムショップで買い物をしていたときのことだ。品物を選んでいると「ハンビに似ている」とケンシがつぶやくので隣を見ると、まさにハンビ! 私は「ハンビ!」と抱きついた。

 英語しか共通な言語を持たない私たちは、それでもどうにか、ハンビは今日フィニステーラ((Finisterra))から戻って明日韓国に発つのだと、いうことが彼の懸命な説明で理解できた。それにしても、おそらく4〜5日分の距離を健脚なハンビは行って、戻ってきたということで、そのタフさ加減に驚かされた。 よくここでお互いに会えた!