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過去のことを記事にして書いてます

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術後の生活は


重たいものを持つときや


くしゃみをするときなどは


傷が痛みました・・・


でも通常の生活を送るには


大して気にならない程度です




総合病院への検診は続けてました


半年くらいで美人先生が異動になり


部長先生みたいな50代くらいの男性医師へ担当がかわりました





手術して1年半


いつもの定期検診で




「卵巣腫れてるね・・


念のため血液検査してくれる?


MRIとってくれる?」




なんかいやな予感しました




診察室に入ってから


先生の口の重いこと・・・




悪性疾患の専門病院だから


こういう局面は珍しいことではないはず・・・




「りんたまさん


血液検査の結果、悪性の可能性があります


あるといっても限りなくゼロに近い可能性なんですけど


・・・ゼロではない


子宮内膜症でもこの腫瘍マーカーの数値は上がるんです」




aya言葉を発することもできず


  もしかしたら返事もしていなかったかも


  今でも憶えているのは


  先生の後ろの窓から


  外が見えて


  今日はずいぶん晴れてるなぁと


  場違いなことを考えてました




「手術のときの病理検査では悪性ではなかったんですけど・・・


申し訳ないけど


グレーゾーンで


わたし1人では断言できません


大学病院へ行ってください


紹介状書きます」




頭の中はぐるぐるして


手術頑張ってしたのに・・・


なんでなんで???


という感じでした





実は大学病院へ行くまで


しばらくの間夫にも相談できませんでした


なんか重たすぎて・・・





部長先生の書いてくれた


紹介状には


手術のこと


その経過


あと・・・





~りんたまさんは結婚して間もないです~


みたいなことが書いてありました


部長先生のお気遣いに





嬉しいやら・・・




その現実に




悲しいやら・・・






まだ、結婚して2ヶ月くらいなのになぁ


みんな祝福してくれてたのになぁ


悲しませることになっちゃうのかなぁ





結構いろいろ考えて


当時の日記とかみると


結婚なんてしなければよかったと後悔してました




マイペースな夫はこんなときもマイペースでしたが


わたしの落ち込み具合を察して


わたしの母に連絡して


2~3日うちに来てもらえないか話してくれてました




涙があふれてとまらない一日でした





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