へいわ17 もうよくわかりません。 | 宮崎光子のブログ

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へいわ17 もうよくわかりません。


パリどうじテロ ししゃ128にん

なんと もうしあげてよいのか 

なくなられた かたがたの ごめいふくを おいのりします。

そして

にほんが だいにじ せかいいせんで

ひろしまと ながさきに げんしばくだんが おとされ

せんそうに まけて

かくの へいわりよう ということで 

せかいいちの みつどで げんしりょくはつでんしょが

たっている ことをおもいました。

ダイナマイトは ノーベルが はつめいし ノーベルしょうが あります。


石垣りん さんの あいさつ という ポエムよみました。


挨拶 

原爆の写真によせて

あ、
この焼けただれた顔は
一九四五年八月六日
その時広島にいた人
二五万の焼けただれのひとつ

すでに此の世にないもの

とはいえ
友よ
向き合った互いの顔を
も一度見直そう
戦火の後もとどめぬ
すこやかな今日の顔
すがすがしい朝の顔を

その顔の中に明日の表情をさがすとき
私はりつぜんとするのだ

地球が原爆を数百個所持して
生と死のきわどい淵を歩くとき
なぜそんなにも安らかに
あなたは美しいのか

しずかに耳を澄ませ
何かが近づいてきはしないか
見きわめなければならないものは目の前に
えり分けなければならないものは
手の中にある
午前八時一五分は
毎朝やってくる

一九四五年八月六日の朝
一瞬にして死んだ二五万人の人すべて
いま在る
あなたの如く、私の如く
やすらかに 美しく 油断していた。


そして ヴィスワヴァ・シンボルスカさんの なんという幸せ


「なんという幸せ」 ヴィスワヴァ・シンボルスカ(Wisława Szymborska
なんという幸せ
自分がどんな世界に生きているか
知らないでいられるのは

人はとても長く
生きなければならないだろう
世界そのものよりも
断固としてずっと長く

せめて比較のためにでも
他の世界を知らなくては

人をしばり、厄介なことを
生み出す以外には
何も上手にできない
肉体の上に飛び上がる必要がある

研究のために
図柄の明快さのために
そして最終的な結論のために
時間の上に舞いあがること
この世のすべてを疾駆させ、渦巻かせる時間の上空に

この見晴らしから
些細なものたちに、ちょっとした挿話たちに
永久の別れを言おう

ここからならば、一週間の日数を数えるなんて
無意味な行為に
見えるにちがいない

手紙を郵便ポストに入れるのは
愚かな青春のいたずらに見えるし

「芝生を踏むべからず」の注意書きは
狂った注意書きに見えるはず


芝生って どういういみかな って しらべてみました。↓

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もう よのなか よくわかりません。