222-11(深(ふか)城(しろ)の家(いえ)は、誰(だれ)も死なん(しなん)かったからな) 耕作(こうさく)はふっとそう思った(おもった)。 一人(ひとり)も死者(ししゃ)を出さなかった(ださなかった)家(いえ)と、何人(なんにん)も死なれた(しなれた)家族(かぞく)とは、まったくちがう。 並んで(ならんで)坐って(すわって)いる人(ひと)を、ひと目(ひとめ)見た(みた)だけで、遺族(いぞく)と遺族(いぞく)でない者(もの)とは見分け(みわけ)がつく。体(からだ)に漂って(ただよって)いるものがちがうのだ。今(いま)のあの節子(せつこ)のまなざしは、死ななかった(しななかった)家族(かぞく)のまなざしだ。 ―(ー) まだ途中(とちゅう)までしか読んで(よんで)いませんのでつづきます。