和へ132 わがやの問題の情報公開で新しい時代を切り開く。 | 宮崎光子のブログ

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和へ132 わがやの問題の情報公開で新しい時代を切り開く。


昨日、法テラスの宇治野みさゑ弁護士さんに相談しました。


私は離婚して5年になります。


前の夫の宮崎昭浩とは交流があります。


私は今一人暮らしでホームヘルパーをしていますが

収入は4,5,6万円の間をいったりきたりくらいです。

日に1件2件3件くらい仕事なのでそんなに忙しくはありません。

それで刑事裁判の傍聴や拘置所でお話を聴いたり、

拘置所や刑務所にいらっしゃる方とのお手紙のやり取りなどを

日本婦人の会というNPO団体でやっています。(ほとんど一人)

以前は薬害や公害(電磁波)のチラシを配ったりしていましたが

警察に捕まったり、あまり意味がないようにも思えて

いまは刑事事件の方に力を入れています。

ブログで情報公開しながら問題を考えています。


刑事事件の被告になられる方は建設関係の人も多く

もとの夫で今も交流のある宮崎昭浩は工業高校の教員で

以前はハンダごての使い方を教えたりもしていました。

今はパソコン関係が多いようです。

今は定時制の博多青松高校の教員をしています。

http://seisho.fku.ed.jp/html/teiji/pic_teiji/news/groubaru_1.pdf

どんな時も どこにいても 学び続け 未来を創る人


このような事教える学校の先生、


だからNPOの日本婦人の会の活動に賛同してくれともいいようにも思います。


そして私は薬害患者で歯科で水銀が50%の歯の詰め物があると言うことに関しても

化学の先生に聞いてくれても良いようにも思います。


今、彼のお父様が医療センターに入院していて

病気の治療の説明インフォームドコンセントを私も一緒に聞きましたが

納得のいかないものでした。


でも私は離婚しているので、口出しできる立場にありません。


でも治療方針にサインしたのは私でした。


宇治野弁護士さんにもお話しましたが

悪性リンパ腫との事で高齢のため抗がん剤は使わずに

ステロイド+リツキサンの治療をするとの事でした。

リツキサンを調べると抗がん剤で薬価の高いもの

以前から薬価と薬害の問題は言われていて

このような状況はなんとかならないか?


弁護士さんは今までみんなの薬に対する考えが甘かった

副作用の問題とかとかお話しされました。


薬害問題と覚せい剤問題、これは両方考えていかないといけないと思います。


点滴もソルデムとラクテックと手術の前後にするようなものをされている。

でも手術はしてないし、少し前に腎臓で入院したときは水分の制限もあった。

いまは足や顔がはれたようになっている。(私が見たのは3月13日まで)


インフォームドコンセントのとき、もと夫の父が

医療センターにくる前の病院ではまだ歩けたのに

こちらに来て歩けなくなったのはなぜですか?

と決して先生の顔を見ずにたずねられたのが記憶に残る

お話しもしましたが、私は家族でないからという感じでした。


弁護士さんは抗がん剤の副作用はきついと言われました。


私の薬害についてもお話しましたが、ただ聴いていただいただけでした。


もと夫の母は、もと夫の父は電気工事士で、いっしょに仕事をしていた人は

定年後、まもなく亡くなった人も結構いて、父も定年後しばらくして

心臓で危なかったけ手術して20年以上元気でくらせた。

なかまもみんな亡くなったしいつ死んでもいいと言っているので

先生におまかせする。

という感じでした。


もうこうなったら、薬の毒に勝つ万能細胞(STAP)は

「ありがとう、ごめんなさい、許して下さい、愛しています」 ではないか?

神さまにお祈りが良いようにも思います。

教会でお祈りしてきます。


赤血球そのものが万能細胞(STAP)であると考えられる 


衛藤公治先生  衛藤医院院長

1947年、東京都出身。城北高校、1974年慈恵医大卒、聖路加国際病院内科研修医、1976年から東京慈恵会医科大学第三病院内科勤務のあと、

1983年、衞藤医院を継承、現在に至る。

ホ・オポノポノというハワイの癒しの秘法「ありがとう、ごめんなさい、許して下さい、愛しています」 という言葉を患者自身の潜在意識に呼び掛け、治癒力を引き出す治療法を大切にする。




私は生活が成り立たないことからもと夫の家に家事手伝いに行ってい、そのつど

少しづつお金をもらって生活していました。


それがもと夫の母にみつかり、絶対に私を家にいれてはならない

そとで1ヶ月に1回3人で会うようにしよう、と言われます。

そして私はお母さんと呼んでよいそうです。


私の生活が成り立たず、私は別に仕事を探すか

実家に帰るか、もと夫は実家に帰るように言いますが

実家で話しますと父は自分の道を切り開け

母は、まだ早いんじゃない。と言う感じでした。


私も活動が半ばで、資金的にも協力者がいないとやっていけない状態でもあります。

自分の生活と活動どうすべきか?


とりあえず、仕事さがします。


離婚の合意書の


第3条 甲は乙に対して、今後生活上の困り事があれば相談を受ける。


第2条まででお金の問題は終わっている。との事でした。


でも日本婦人の会への寄付はどうでしょうか?