PlatinumClubⅡ

PlatinumClubⅡ

森圭吾の音楽人生「Platinum Club」の復活版

僕の生徒さんがね、足部管抜いてなかったの。
なんで?って聞いたら
「あんまり効果感じないから」

「んーーどれぐらい抜いてた?」

「これぐらい」

「それ少なすぎ!」

1ミリや2ミリでは実感し難いんだわー

正直わかるけど、爆発的にわかるほどじゃないのよね。



写真が悪いな(反省)

では


正確に計りましょう。
3.5㎜も抜いてることが判明

セッティングし直してレッスン再開

そのあとは、ビックリの安定感ある音が響き渡りましたとさ

レッスン終えて帰る頃にはニコニコの笑顔で終了となりました

皆さんね、変化を求めるなら大胆な改革が必要なんです

セッティングの問題にしても、奏法的なことでも、ヒビってちゃだめ

それが出来ないなら一生現状維持

殆どの人がそうじゃありません?

思い切って挑戦して、新しいことに目覚め、喜び、落胆もあるかもしれない、けど、先に進んだことには違いないわけで、常に自分が子供であるかのように、全てにおいて好奇心、純粋な心、探求心を幾つになっても持ち続けたいものです

現状維持ほどつまらない人生はない!





お恥ずかしながら、金鯵というとてつもない鯵が存在することを知りませんでした。
ドライブがてら立ちよった食堂では朝取れの新鮮な金鯵を刺身とフライで堪能できました。
この身の厚みだと、通常の3倍以上のサイズなのでは?
身は引き締まっているのかと思えば、とても柔らかく、鯵の風味はより天国に近く、とろけるような極上の生チョコをいつまでも飲み込みたくない。そんな別格の美味しさでした。


フライはあり得ないほど分厚く、歯ごたえしなやか。揚げ具合もビシッパリッと絶妙な音を立てて、砕け散り折れた隙間から、溢れるほどの旨味を放ちながら出現する本体は、これまでに食べた鯵フライとはまるで違うゴージャスさを自己主張していました。
横須賀より車で10分ほど少し南下した走水という美しい漁港へ、いざ金鯵を求めにまた行きたいと思います。

どの世界にもタブーがたくさんある。
それを言っちゃ不味いだろうというやつ
それを言っちゃ閉め出しに合ったりバッシング
の対象となりえる。

それでも言わなきゃなんないこともある
言わないことによって悪循環がもたらされ、結果的にその世界の進歩を妨げることになる
しかし、なぜ真実が闇に葬られるか?

それは、真実だと分かりなら理解しようとしない、もしくは避けて通りたい人間が大多数を占めるからだ。
今のコロナが良い例だ
日本人の持つ、建前社会がもたらす弊害は大きい

今日はほんの一例として日本人のフルート界の大問題を問う!

日本人のフルート奏者の演奏を聴くにつれ、音程のでたらめな演奏に辟易とすることが、多々ある

世のフルート奏者は口を揃えてCisが高いと言うけれど…

高いのはCisだけじゃない
その、周辺もとてつもなく高い。
以前も書いたけれど、音程が悪いということは、鍵盤楽器に置き換えれば、音を間違えて弾いているのと同じことなのだ

こんなことを言うと怒るかもしれないけれど、特に多くの日本人の吹くフルートって音程がでたらめだと、ずーーーっと思ってきた。
何か独特の音色感が存在するのだろうか?

それとも、多くの日本製の楽器により、その相性として、そういう結果を生むのだろうか?要するに日本人の笛という意味での音程感?音色感?いや、そんなはずはない。

現に、ごく一部の音程の良いフルート奏者はそれを苦もなく修正しながら吹きこなしているように思われがちだが、めちゃめちゃ苦労しながら調律の悪い楽器に悪戦苦闘している事実はその本人しか知らない

だから、音程感覚のない奏者が演奏すると、もう本当にでたらめになる
反面、ある意味羨ましくもある
気にならないというのは幸せなことかもしれない

フルートメーカーも旧態依然としたクーパースケールに拘ることなく、もっと音程に苦労しないで済む楽器を作って欲しいものだ。
この100年、楽器的にはいったい何が進歩したのだろうか?殆ど基本は進歩していない。

話を戻すと、そんな人が運良く質の良いオーケストラに入れたとして、音程に関して自分の音感の無さを恨みながら路頭に迷い、初めてその修正に心血を注ぐこととなるのだ。

アマチュアのオケではよくあるというが、一番音程の分からない人が、一番口がたつ。音楽なんて印象で決まる。良くても、悪いと言った人の勝ちということだ。
捲し立てた方の勝ち、なんと理不尽なことだ!
しかし、周囲の心の中が見えたとすると、これ程恥ずかしいこともないではないか
中立的なジャッジセクションが必要不可欠。紛争解決係!

幸いなことにプロオケにはそれはほとんど無い。自分の耳の悪さは団員全員が理解済みであるからして、本人が惨めになるだけだ。
そういう輩は遅かれ早かれ、去り行くこととなる。そういう輩も幾度となくみたし、撃破したこともあった。
いくら口がたとうと、音程が合わせられない=悪であるからにして…

オーケストラというところは、音程とリズム以外に何がある?という程の音程合わせの戦場なのだ。
「音色?そんなもの音程が分かってから口をきけ」とはある著名な指揮者の言葉だ。

管楽器の演奏家は楽器の特性上、ピアノや弦楽器に比べ音感教育が成熟する年齢に楽器は始められない

多くは小学生後半。もしくは中学生で初めてフルートを持つことになる

従って何らかの他の音感教育を奇跡的に受ける、もしくは何らかの音楽に頻繁に触れることでもない限り、楽器を始めた年齢では遅きに失するのだ

ここで言っておくが、絶対音感は役に立たない
絶対音感というものは、非常に幅の広い曖昧な、時に音楽を邪魔する敵ともなりえる。

全音を、例えばCの音程を100に分解したとしよう。
そして、その百分の一を聞き分けられるかという、精度の高い絶対音感でないと意味がない。
その上自分の表す音程が心地よさをもたらさなければ、演奏家として失格だ
何故なら音楽的音程というのは、人が聴くと、心地よさ、言葉を変えれば快楽をも与えることができる音程のことだからだ。
漠然とその音名と多少の音程の高低を理解出来ても、なんの意味もない

絶対音感が無くても素晴らしい音程感を持つ演奏家は数多と存在する

彼らは何を武器にしているかと言うと、相対的音感が優れていることに他ならない。

それは幼少の頃より高い頻度で培われた音楽的出会いや環境を持って養われたものなのだ。

弛い絶対音感の持ち主は、その精度を上げることに邁進し、自己満足ではなく、その曖昧な自信を捨てる勇気を持ち、音楽に込める音楽的音程感を習得することが先へ駒を進める唯一の方法だ。

話がとても専門的になったけれど、プロ奏者にこそ、この話を真剣に聞く勇気を持つ純粋な音楽家としての心構えがあるか問いたいと思う。

アマチュア、およびおらが街のレッスンプロの先生方には、これまで培った経験をあっさり捨てる勇気を持ち、初心に戻って音程を改善するべく、奏法から見直してみられては如何なものか。

もう一度いうが、日本の殆ど大多数の自称フルート奏者の音程はでたらめだと。
あなたはそうじゃないと言い切れる自信がありますか?
これを読んで当然の事実だと思った人は自信過剰に注意し、逆に無性に腹が立つようなら、あなたは音程に疎いということになります。弾く鍵盤を間違えない努力を始めようではありませんか。






いいですか?
こらから書くことは多くの批判を浴びることになるかもしれないですが、それを支持するかしないかはあなた次第

騒がしい世の中ですが、僕は目の前にあるフルートで新たな発見の旅に出かけていました。
あっ、それは瞑想という心の中の旅ですので、悪しからず


そして、あくまでも自己責任でお願いします。
しかし、考えてみれば当然といえば当然。
物理的にみても当たり前の話なんですがね
頭部管を抜くんだから、足部管を抜かないとバランスが悪いと、なぜフルート奏者は考えなかったのでしょうか?
この考えは以前、ある高名なフルート製作者から助言されたこともあったのですが、笑いながらスルーしてしまいました
しかし、こんにち

この方法を試すことにより、劇的な音程の改善と、全域に渡る大幅な安定感ある響きのアップ、低音域の豊かさを実感し、叫びを堪えきれない僕の生徒たちが、その証人です

響きの良い空間で試してみてください。

足部管の弛い楽器はテープでも紙でも挟んで絶対に落ちない工夫をしてください

足部管を数㎜抜く
抜き方が少ないと効果も少ないし、抜きすぎも良くありません
絶妙な抜き加減を模索してみてください

何度も言いますが、あくまでも自己責任でお願いします