『幻想にぶつかったとき、それが幻想だと信じれば。どれほど現実的であろうとも幻想に見える。そうなれば、幻想を本来の目的に活用することができる。つまり、究極的な現実を体験する道具として活用できる』

 

神との対話シリーズでは、この3次元で現実的に見えていることはすべて幻想の世界としています。

 

この幻想の世界というとらえ方を2つあると思います。

1つは、同じ出来事なのに人によってとらえ方が違う、見えていることが違うということです。

例えば、明日は雨予報。遠足がある人にとってはとても悲しい現実が想像されます。

一方で新しい長靴を買った人にはちょっとうれしい現実が想像されます。

同じ予報なのに、違う現実が想像される⇒それは現実なのか?⇒幻想の世界となるのです。

これは多少理解できるかなぁと思います。

一方で神との対話では、もっと奥の世界、究極の世界との対比で、この世界は幻想の世界と言及しています。

 

究極の世界=すべて自身の魂の成長のために、自分で創造している世界。

幻想の世界=究極の世界を見破らせないようにしている幻の世界。

自分の魂を成長させるために、現実であるかのごとく見せている世界だとしています。

 

これを、映画を見ているシーンで考えると分かりやすくなります。

映画を見ている自分=究極の世界にいる。

映画の中の主人公になってしまった自分=幻想の世界にいる。

 

この3次元の世界では、映画を見ているのに、それを忘れてしまって主人公のようにリアルに体験してしまっているのがほとんどの人なのです。

まあ、リアル体験をするためにあえてすべてを忘れて生まれてきているので、それは必要な「忘れ」「体験」なのですが・・・

 

さらにもっと深読みするために、最近公開された映画「スラムダンク」で表現すると、

動画やブログで解説することをある程度目的とした人が見に行くことが、「マスター」(イエスや仏陀)に近い感覚ではないでしょうか?

解説用に映画を客観的にみる。例えば、あの表現は素晴らしかった

=究極の世界より見ている自分の感想

一方で映画に見入ってしまって、あの場面は感動し涙が出そうになった

=幻想の世界で感じている自分

両方を感じている感覚はまさに「マスター」だと思います。

 

もし、あの山王戦の試合結果を知らない(忘れている)としたら、どれほどの人が「マスター」でいられたかは疑問です。

多くの人が映画の世界=幻想の世界に呑み込まれてしまっていたのではないでしょうか?

これが地球の世界で繰り広げられている「幻想の世界」なのです。

 

とすると、マスターは「結果」を知っているから(思い出している)から、「マスター」だとすると、マスターはどんな「結果」を知っているのでしょうか?

 

僕はこう考えます。

「すべての魂は生まれる前に自身を成長させる人生設計をしてきていて、起こる出来事はすべて自身の成長を促すことで、本人にとって不都合なことは一切起こらない」

こうではないでしょうか?

自分にとって起こることは、幻想では不都合に見えることも、実はずべて魂をさせる出来事なのだと。

 

この結果を知り、自分を深く信用できた時(不都合なことは一切起こらない)、幻想の世界から逃れ、究極の世界を視ることができるのだと思います。

 

自分を深く信じ、いつもこの地球の幻想の世界に先にある究極の世界を意識しましょ

 

 

 

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