真実世界の悟り「君はいったい、だれ」の物語 | 虹色の愛を見つけた♪ - 天国界のシンフォニア -

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天界とゴールデンエネルギーで、幸せと豊かさと目覚めをサポートする魂の進歩ワーク

本気で幸せの人生や魂の変化を迎えていきたい方々のための、

パワーの根源に目覚めていくアカデミー

港区と全国出張で、最上階レベルのエネルギーと覚醒ワークを行っています。

これは、ワークを受けて頂いた方で、ペンネーム:らんまさんの体験です。(再送いたします。)


お客様物語:真実の世界へ「君はいったい、だれ」

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人は元々、自立して生きているものだ。


しかし、人は、「愛」という気持ち悪いものを見つけてしまうと、それに執着してしまい、自立できなくるものだ。


その中でも、スピリチュアルというものは、よく天使が見えるだの、エネルギーが過敏だの、うざい「愛」という執着や拘りを持ってしまい、

自立できなくなっているものだ。

そんなもの、いつか飽きてしまえば、縋らなくならなければ、忘れ去られて見えなくなってしまったりもする程度なのに。



スカイ・エンライトメントを受けた。

見違えるような輝きを持っている。


でもその夜からである。
友人の昨年生まれた赤ん坊の写真を見ていたら、その写真から、私の脳へと声が聞こえてきた。

「こんにちは、ママ」

は?

「ママは、ママだよ。」


友人の赤ん坊にしろ、私は”ママ”なんかではない。
霊的現象によって、なんらかのもののけの悪戯なのか、とにかく無視して、私は寝ることにした。

人生に、無駄なことはしない。

私は、子供、家族も持つつもりもなければ、興味もない。

ただ、私は、なぜこの世に生まれてきたのかを知りたいから、この世に生まれてきた。

ただそれだけの生涯。
神様とやらの生涯。

スカイエンライトメントの答えはそこにあり、ようやく私は最高の人生を築き、”幸せ”とやらに上りつめてきた。
完結しつつある。


人生に無駄なことはしない。

だから、私は、瞬時にすぐにシャワーを浴びて、ドライヤーで髪を乾かし、就寝に入った。

だが、次の日である。

私がPCでショッピングをしていたら、
「ママ、これはなに?」っとパソコンのキーボートを指しているような声が聞こえてくるのだ。


”これは、この画面越しの者たちにコミュニケーションを取るものだ。”

私は、思わず、胸の奥から突き出てくる心の声のままに答えてしまった。

その突き出てくるエネルギー、そのパワーは、思わず、私は涙を流してしまった。

はぁ?なにこれ?ってか、なんで泣いてるの?私?


通勤途中、私は、ずっと自分をみていた。

おそらく、友人の赤ん坊の魂とやらが、私に話かけてきて、勝手に私のなにか・・・潜在意識的に眠っている、癒されていない何かを引き出してきたのだろう。。

っと解釈する。

けれども、なにかが納得できない。

というわけで、気持ちが悪いまま、仕事をするわけにもいかないので、
昼休みに、その赤ん坊の友人に連絡を取ってみて、少しばかり話してみた。


そしたら、友人は驚いて、大喜びしていた。

”ええ~?この子は、そんなことをしているの!?”

その話の流れで、今週の日曜日に会うことになった。

しかし、その夜、ベットで寝るまで、心を落ち着かせていたら、また声が聞こえてきた。

「マミーは、いつもいつも怒ってるの?」

怒っていないよ。

「どうして、そこまで氷みたいにいられるの?」

これが、私の充実した普通なのです。
君、名前は?

「ボクはボクだよ。そんなに氷みたいのがママなら、ボクがもっともっとママに愛を与えるよ」

結構です。それに私は、ママではありません。
ほら、本当のママに帰りなさい。私はもう寝なきゃ。


というと、その赤ん坊は、とっても寂しそうに背中を向けて消えていった。

やっぱり何かの親しい妖怪なのだろうか?
これは、もっと怪しい。
私は実家に、そんな妖怪が、小さい時から存在していたか、幼少期を思い振り返っていた。


でも、そうやって真っ暗い天井を見つめていたら、また涙が出てきた。

え?意味不明。
私、人格的に大丈夫なのだろうか?ストレスマネジメントだって自分に適していて、問題ないのに。。

こんなの初めてだ。


日曜日、
原宿に緑あふれる素敵なハーブティーの店がある。
そこなら赤ん坊も緑に触れ、喜ぶだろうと思い、待ち合わせをしていた。

友人が、赤ん坊をぶらさげてやってきた。
ベビーカーは、この土日の原宿では困難なためだ。

赤ん坊は、眠っていた。

私が、赤ん坊を見たとき、直観で感じてしまった。

あれ・・・よく夜に出てくるのは、この子なんかじゃないかもしれない。

起きたから、目を合わせてみると、この子は父親の影響なのか、サラリーマンみたいな、パワーが真面目に、まっすぐに持っているような凛々しい子だ。

いかにも、家計を支えているのは、このオレだ・・・みたいな子だ。

わんぱくでさえ、そのまっすぐな凛々しさに流れている。
違う・・・こんな子じゃない。

目を開けて、私に
「おい、どうよ?うまく自由にやれよ」
みたいな、父親みたいなニュアンスで、語りかけてくる。


違うかもしれない。

さらに、友人にその赤ん坊のお話を聞いていると、
ますます違ってくる。

髪の長い女性を見ると、この赤ん坊は顔色を変えて、もっと男らしくなったり、お前の悩みはオレに任せろ的な男前になったり、
旦那に対しては、いつもいつも説教やダメ出しをするような顔をするらしい。
頼りない旦那なのはわかっているのだろう。


これは、違う。

結局、夜に現れるその子供の話をすることもできず、友人は赤ん坊のお話だけでその女子会を終えてしまった。

その友人の赤ん坊に、女子会を仕切られてしまったようなものだ。


帰宅後、ソファで横になっていたら、眠りに入りそうになる。
そのとき、誰かが呼びかけてきて、私を眠りから引きずり出そうとする。

「マミー、マミー!マミー、マミマミ、マミー」

なんだ?また君かー。勘弁してくれよ。

「マミー、今日は輝いているね。お友達と会って、久々に輝き始めたんだねー、うっわー」

そうそう、君のママだと思っていった人に会ってきたよ。その子供の話ばかりで、君とは違う子だと感じてきて、結局、君だとは聞き出せなかったけれど、
ってか、君はいったい誰なんだい!?

そのとき、
瞬時に私の頭の回転が回り始めて、ふと思ったのは、

幼少期、私は実家の庭で、木の枝で、地面に線を引いて、お部屋を創り、保育園ごっこをしていたことがある。

保育園の先生が私で、その保育園の園児たちが、なぜか”石ころ”たちだ。

実家の庭にはいろんな石ころが転がっていて、それぞれが個性のある赤ん坊や園児たちに見えて、

私はその石ころのかわいらしさに、保育園を作った覚えがある。

思い出した、

その中でも、白くて神秘的に見える石ころ、しかも草木の香りがよくしみ込んでいて、時々、花の香りもしてくるような石ころがあって、私はよくそれを気に入り、自分の姉妹として、いつまでも保育園の舞台に置かず、一緒に持ち歩いて過ごしていたことがある。

あの石は、時々、中に小さな世界があるかのように呼吸しているような時があるようで、それが花や草木の良い香りがするときがあった。

保育園ごっこの世界では、君の声はそんな感じだった気がする。

あの時、君、本当に生きていたのかい?(なにか宿っていたのかい?)
あの時の愛しさ、愛を、私に思い出させに来てくれたんだね・・・。

そっか、そっか~
そっか、君か~

ありがとう。

私は幼少期に振り返ったかのようにニヤニヤしていた。

となると、君は、もののけなのかな。一緒に遊んでくれた。
妖怪みたいなものなのかな。

「マミーは、そんな風に育ってきたんだね。」

その声に、私はハッと現実に気づいた。
その声の子も、私の幼少期の思い出に浸っているかのように、満足そうにしていた。

その思い出とは対比して、違和感を感じた。


君、その私の思い出とはなにか、違うような。

やっぱり、君はいったい誰なんだい・・・?

「ボクはボクだよ。」

言っておくけど、私は子供なんて作らないよ。

「ボクはボクで、いつだってママのソバにいるんだよ。」

なにがなんだかわからなくなった私は、あまりに相手にせず、無視するようにした。


そんなある日、私はだるい毎日が続いていたら、朝から頭がくらくらし、頭痛がし、悩みに悩んで、仕事を休むことを決めた。

仕事を休むはずがない私が・・・ついに休んでしまった。

悔しさと沈んでしまった私は、布団にもぐりながら、ひたすら寝込んだ。

起きてみたら夜9時。

ふらふらと台所に行き、水をいっぱい飲んで、何も食べる気も起きず、眠りの続きで、布団に潜り込む。

やばい・・・私。でもとりあえず、寝よう。


夜中2時半~3時、

突然、何かに声と共に起こされた。

「ママー!ママー!ママ!ママ、ママママママ」

な、なに?君か、だるいんだ、落ちてんだ、今、話しかけるな。

「寂しいよ~、ママー、ママ、寂しいー、もういやだよ、ボクも一緒に寝る。寝るよ~、ママー、ママ、」

ふあ?は?

何かが、布団の中に潜り込んできているかのように、必死な思いで、私の心のそばにくっついてきた。

んもー、君は誰なんだい?いったい、
眠らせろー

「ボクはボクなんだよ!」


私は思った。
君を無視してからだ、だるくなったり、具合が悪くなったりして・・・
君は、やっぱり勝手に現れた妖怪か、
疫病神なのだろうか、
本当にいやにもなってきた。

マイナスな感情、ネガティブな感情で、執着してきて、私の気を離れさせなくする。

なんてこった。
アーラに除霊でもしてもらわないと。

とはいいつつも、私は、胸がぎゅーっと狭く冷たくつかまれるくらいに、ネガティブに落ち始めた。

私は、それが妖怪だと気づいたら、なんとか力を振り絞って怒った。

あんたはいったい、誰なんだよ!!
私に近寄らないで!!


すると、泣きながら、小さく小さくなって消えていった。

その朝、ぐっすり眠れて、体調が回復し、会社へ通勤。

けれども、なぜか、たった一日二日休んだけで、仕事の仕様やプロジェクトの進行状況が変わっているせいか、いろいろと抜けてしまったり、ちょっとしたトラブルが起きてしまう。

”あなたが休んでいる間に、こんなの常識になってんだよ”的な空気を感じさせてくる。

今までは、勤務2、3年の子や仕事に慣れない後輩に、私が思って発していたことが、今回だけ、なぜか私が逆の立場になってしまっている。

仕様やプロジェクトの進行によるものだけでない、もうコミュニケーションさえ通じないくらい、私はなにも仕事が頭に入っていないような、まるで、社風になじめない空っぽの新人みたいだ。

どうして?
なんで?

なんで、わかんないの?こんなの?
なんで、私の考えた通りに行かないのか?柔軟に行かず、仕事を着手できないのか?
仕事をうまくつかめない。。

夜に現れるあれの所為なのだろうか。。
やっぱりそうだ。
あの疫病神?妖怪が現れてからだ。


その夜、就寝、私はベットで、一日、二日休んでしまったこと、仕事がなじめなかったことに、ふてくされ、悔しくて、涙をこぼしながら、真っ暗な天井を見上げていた。

でも、この涙は、あの子が現れたときに意味不明に流れてきた涙と同じだ。


そしたら、ベットのそばから、あの子の泣いている声が聞こえてきた。

「全部、ボクが悪いんだよね。やっぱり、ゼンブ、ボクが悪いんだよね。」

たぶん、もののけの世界では、妖怪に罪はないのだろう。
君は、悪くないのだろう。

「ボクがゼンブ、吸収するから。ママの嫌いなところ、ママが苦しんでいるところ、ゼンブ、吸収するから。」

すると、その子が、小さくなって、真っ黒くなっていく。真っ黒く、真っ黒い風を吸い込んでいくように、真っ黒く、真っ黒く、吸い込んでいく。

え?ちょっと待って!って思ってしまった瞬間だった、

私は、一瞬、その子を感じたことがあることを微かに思い出した。

「ごめんね、ママ、ママ、ボクが悪いんだよね。」

黒く小さくなっていく姿を見たとき、

それは、私が感じた事がある狭くて、狭くて、息苦しい小ささだ。
そんな世界。

それ、知ってる気がする。覚えている気がする。

それは・・・それは・・・

それは・・・、そうだ、

中学校の頃に感じたことがある。

そのとき、黒くなっていくその子は、その闇を盾のように持って、その裏でとっても輝いて笑顔になった。


そうだ、それは、疫病神、悪の元凶だ。

存在してはならない人。

私なんて、この世に、存在しなければいいのに。

それは、毎日毎日、地獄の日々だったはず。

そっか・・・君は、知っているかも。

そう、私だ。


小学校の頃のような世界から、中学校になったとき、環境も変わり、

無理やり大人の精神を学び始めてるんだから、大人みたいな面構え的になれっていうあの学校や親の空気。

もう子供を終わりにし、中学生として親や先生やコーチの言うことを聞いて、勉強し、良い高校、良い大学、良い就職を目指して、全力で、まっすぐに真面目な、親や社会に貢献できるような大人になる一本道。
それに励むこと無理にでも望み、それが正しく、社会人として輝く・・・というあまりにもつまらなく、バカバカしく冷え切った世界。

これまでのクラスのみんなが、”そうやって大人になり始めてんだぜ”的な、”ガキは終わり”、みたいなブームのような、

趣味も容姿も変わり始めていき、どんどんそれまでの環境が変わり、それまで着いてきた仲間も友人も、いつもの子たちも変わっていく。
私だけ、どんどん着いていけなくなっていく。
それでも、おいていかれないように、おいていかれないように、しがみつく。

中学という世界に入ったら、部活とか意味不明な、運動でかっこつけぶったような、真面目ぶったようなものを選ばされて、

無理やりにでも、大人人形という着ぐるみを着せられていく。

大人の言うこと、先生の言うこと、コーチの言うことを、真剣に聞いて、吸収して、従っていくのが、日本の社会としての常識人格、常識世界。

でなければ、なににも着いていけなく、人は、失格な大人として破滅する。
だから、着いていけなくても、無理にでも無理にでも、体や細胞が嫌がっても、無理にでも無理にでも、自分の身体をハンマーで叩いて、学校に足を運ぶことが、社会人として、中学生という大人の精神を学んでいく、常識中の常識中の常識中の常識中の常識中の常識の世界。

みんな、ロボットのように静かに話を聞き、静かに吸収して着いていく。

その地獄の始まりである部活。

バスケ部かバトミントン部かバレー部でないと、女の子は、素敵になれない。

クラスの、強く素敵で、リーダーシップの女の子になれない。
それまでの小学校のようなお絵かきリーダーの中心な私にであってはならない。
今度は、私が省かれ、いじめられるから。

そのいじめはもっとひどくなることを予想できる。

そんな部活の素敵な女の子部類でなければ、好きな子ができたら、すぐにチャンスをつかめるところまでさえいけない・・・みたいな、

あのバカバカしい、変に精神が成長してます的な、大人ぶっているような、真っ当で正当な道を歩んでいます的な、

息が詰まる、息苦しい世界だ。
みんな、変に気取って、へらへら、輝いた成長している女の子ぶって、いかにも”中学生という精神が成長しました”というあの大人ぶりが、嫌で嫌で、くだらない。

つまらなく、地獄のような世界。

この新環境からさらに爆発的に勝手にできていく女の子たちのブーム。
その強制的な見えない壁。強制的に動く壁。クラスの壁。先生が作り上げる壁。


それでも、着いて行かないと、省かれ、反抗期が始まると、いじめの対象部類にもなってくるため、皆に、その精神に、その大人の精神に着いていかなければならない。

だから、私は、大好きなお絵かきを断念し、将来は漫画家になるなんて夢は愚か、そのセンス、その存在そのものを切り捨てた自分がいる。

美術部は、みんな自分という「女の子」を捨ててしまって閉鎖的に生きる者たちの集まりになりつつある。
そういう部類的なレッテルが起き始めている。

だから、美術部ではなく、
無理にでも決めたのが、たくさんのかわいい子たちや輝いた子たちが入っていくバレー部。

私は、スポーツや運動が大の苦手なのに。

ボールを触れることもできず、私は、大事なレシーブで、いつも取り逃すか、当たった腕が、とっても痛んでしまい、そのボールは必ず変な所へ行ってしまう。

なんで、こんなことをしなければいけないのか?
部活とは、拷問みたいな毎日に感じた。

そして、私のあだ名は、「ぼっきれ」か「枝女(えだじょ)」という風に陰で呼ばれるようになった。

その由来は、コーチが、過去の珍しい強者の部員のお話がきっかけだ。
その過去の強者の部員がボールを返すと、そのボールを受け取るものが返すと、必ず大きく変なところに飛んでいく、珍しい強者がいたらしい。

真剣にぎらぎらとコーチの話を聞く部員たちはその話に食いつき、吸収していく。私は、バカバカしくも聞いていた。

コーチの話によると、夏休みのある日、その強者部員が返したボールが大きく飛びすぎて、窓を開けていた体育館から外へ飛んでいき、杉の木の一部枯れた枝に挟まったことがあった。

ボールは何とか取れたけれど、3、4回目のその強者のボールの返しによって、またその杉の木の枯れた同じ枝にあたって、今度は枝が折れたらしい。
その珍しさに、コーチは一人で爆笑していた。

そのくだらなさ、バカらしさから、私が、その杉の木の枝のような場外レベル(バレーボール部に入れてはならないくらい)に使えない部員であるため「ぼっきれ」や「枝女(えだじょ)」となった。

それは、バレーボール部や部活の中でも、補欠よりも酷い立場という意味である。

その話題は、あっという間に部活内をはみ出して、クラスにも広まった。
部活をやっていると、運動やスポーツをやっていた、変にスッキリしたほかの部活の連中がやってきて、「バレーボール部はどうなん?」みたいな、
調子に乗ってやってくる。

女友達や部員と仲のいい野球部や陸上部の男たちが休憩間際に入ってきたりして、へらへらと話題が広まっていく。

その状況からすぐに察してしまい、本当にこの世を捨てる思いだった。
すぐにこそこそと私の話題が広まっていく。私のレシーブに、自分たちのバカ笑いに期待を寄せて、妙な視線を感じるときが多かった。
このように私を陰で笑って、みんな友達や仲間を作っていっている。輝いた女の子グループに入れてもらうために。
この世界が正義が存在するなら、間違いなく私は、「悪」だ。
この世界での私が存在そのものが悪だと確信したときだった。

それから、クラスにも勉強にも着いていけなくなり、
私は、何かに吹っ切れてしまったのか、不登校になるときもあった。

毎日が、毎日が、嫌で嫌で、夜が眠れない。
毎晩毎晩、夜、寝る時が、辛い。
今、寝てしまえば、明日になる。
明日になれば、もう絶対的に学校に行って、絶対的に部活が始まる。
この「絶対」という敷かれた道を通らなければ、私は世界で堕ちて、人生の終わりだ。人生で敗北になると。
明日が、嫌で嫌で、引きちぎられるような地獄の日々だった。

のんきなコーチどもに相談しても、もはや辞めることもできない。

私はずっといじめられ続けなければならないし、一生、ぼっきれ女、

つねに、チームの足を引っ張り、テンションを下げらせ、みんなのパフォーマンスもモチベーションも壊す女。

ゼンブ、私が悪いのだ。どうせ、私なんか存在してても意味がない。
そういう形でアイデンティティーに入り、生死に興味を持つ多感な時に入ったようだ。

生きている意味が、全く理解できず、早くこの世から離脱したい。
消えてしまいたい。

毎日が苦痛で地獄の日々。生きている意味がない世界だ。

クラスの男たちの低層な男たちは、私のあだ名を「ぼっきれ」や「枝女」という名前が、尽く、下ネタのあだ名に変えて行く。

変に吹っ切れても、私はさらなるいじめの対象になっていくだけ。

幼少期から絵描きが好きで、漫画やアメコミが大好きで、本当に宿っていたかのような私という仮想世界の男の子がいた。
でも、もうその頃には幼稚な男の子が、ずっと泣いていたような、どこに行ったのか、存在さえ、もう感知できなかった。

なぜなら、私がこれから行く中学生という大人の道、高校生、さらなる社会人という恐ろしい大人の道は、そういう幼稚であってはならなく、幼稚さは私の友達や仲間、全ての人間が、不必要としていく世界。

それが存在したら、みんなにださいださい、臭い、汚い、時代遅れ、終わっている女だのと、言われ続ける。

将来は、売れ残りで、どうでもいい男と無理やりお見合い結婚でもさせられるのだろうっと言われたり、エスカレートしていくからだ。

中学生からは、そんな子供の世界は、卒業して、全ておわらせていかなければならない。

なんで、日本になんか生まれてきたのだろうか?

なんて、恨むこともあったけれど、

やはり、私の存在そのものが、間違っていることに変わりはない。



早く・・・、



早く、この世から、消えたい。


羨ましい。

ドラマや映画、アニメでやっている、人が亡くなっていく姿。
病気にしろ殺人にしろ、亡くなるシーン。実際に亡くなった被害者

羨ましい。
本当にうらやましい。

でも、私は口だけで、結局、この世から消えることなんてできなかった。

私は、その中学校の頃を思い出し、布団の中で一人でぽつんと落ちていた。


「ボクは、ずっとそうやって生きてこれたんだよ。ボクにとって生まれてきた意味は、絵を描くために、ボクが描かれるために生まれてきたんだよ。」

「でも、いつの間にか、ボクはいらなくなって、ずっとボクは、この先が見えなくなった。ボクは、ずっとボクなんだよ。ボクは死なないよ」

「ボクを殺しても、ボクはまた生まれてくるよ。だって、ボクは、このために生まれてきたんだよ」

そう、君はずっと輝いていたのかもしれない。

君は、どんなに汚されても、悪くされても、汚されても、それを吸収し、絶対に汚れることがなかったはず。

「ボクは、日本に生まれてきてよかったととっても感じてるよ」



私は、悟った。

涙がぽろぽろと止まらなくて、自分の本来の愛しさを思わず、抱きしめてしまった。

そうか、そっかー。君は・・・。

すると、私の絵描きや美術にどれだけの楽しい世界、豊かさやその輝きが溢れている世界があるのか、広まっていった。

私の絵描きは、この世界がどれだけ無限大の可能性があるのか、
そして、どれだけ私の気づかないところで私を生かし続けていたのか。

あの時、ありのままに美術部にでも入っていれば、私は、もっとありのままに幸せな人生を送ることができたのだろう。

本当の自分のままに、輝いて、私は私の生きていい世界を作ることができたのかもしれない。


ごめんね。

ママは、これからは君と共に生きるよ。

もう、自分を殺したりしないし、ちゃんと大切にしていくよ。

この魂の狭間で生きて、私は中学生のまま、当時よりも過激ないじめに合うこともなく、何かに救われ続けていたのか、社会的強さをずっと求めて続けてきた。

それでも本当の私はスポーツが嫌いで、オリンピックや英雄的な選手の名前ばかり雑誌やネットニュースをみるたびに、ばかばかしくて、吐き気もするときもあった。

それで盛り上がってる日本人や世界の連中って、本当バカばっかりだよね。
ま、私の存在が、生まれてきて場違いなのだから、一番のバカは私なんだけど。

そうやってふっきれて、大人になりきった中学生の私がいた。

気が付けば、私は会社の本部長の席がある。

この立場から世の中を見ていると、


今の若い子たちは、変に成長して、精神が幼稚すぎて、ダメすぎる子たちばかり。。。

幼稚な職業やそういった変な世界、アニメ世界がたくさん世の中に生れている。
常識なんて知らない。
ダメな社会だ。幼稚であってはならない、存在してはならない社会だ。
卒業できてなく、結婚も、才能もないダメな社会。



けれど、私は、それが、「良い」っと強く感じている。
私は、それが、私にとってとってもありがたい社会。
ありがたい日本、ありがたい世界。

私の中学校の頃に、真面目に大人ぶって、社会人を目指した頭の良いクラスの連中、導いていった先生たちにとっては、

この社会は、とっても生きづらく、くだらなく、つまらない世の中であろう。


私は、正しかった。

ありのままの私が、正しかった。

そう君が、正しかったんだよ。

もっともっと、魂のままに生きるべきだった。

中学校のころに導いてきた連中は、老人たちとなり、孤独死や子供たちに捨てられていく世代に入っていく。

私は、自分の大切さを悟り、涙がぽろぽろと止まらなく、

胸が、ハートが開き、とってもすがすがしく、楽しいことをいっぱい考えられる自分になった。

そう、赤ん坊が私の胸の中に、私の魂に帰ったのだ。

私って、こんなにすごいパワーの持ち主だったんだね。

翌日、会社で、私が目が真っ赤に晴れていることが、社内で話題になった。

昨日は、良い映画を見て、涙止まらなくて。
とは言っているのだけれど、

「いや、間違いなくフラれたんでしょ?」と皆の共有された妄想を代表されているかに言われる。

私は、笑い飛ばしたけれど、

ま、そんな理由も悪くないねって思ってしまう自分がいた。

そんな中でも、後輩に任せたコピーの作業で、相変わらずの変な難癖を指摘したくなったり、会社での上司に対してのコミュニケーションが通じないくらい幼稚な子のバカさにも怒りたくなったけれど、

「それもいいんじゃないの?」って声が聞こえてきて、逆に心が和んだ。

そんな幼稚さがそのダメさが、それぞれの本当の大切なものを作り上げてくれる。

こんな幼稚のダメな赤ん坊たちのおかげで、ボクラは支えられている。

ボクラはこのくだらない日本で、生き続けることができる。

だから、社会人とやらの常識?大人の精神?とやらを捨てて、

彼女たち(ダメな後輩)を指摘せず、可愛がってみたい。

そんな愛しさを、感じるような、そんな世界を悟れるように見えてきた。

未来に生きていくことが、大きく楽しみになってきた。

後日、アーラにこの一連の現象を相談してみたら、

その一連の私という存在たちにはさらに深いいろんな意味やメッセージがあったことに喜びが隠せなかった。

魂という深い世界、神様という人間には気づけない世界。
私は気づかないところで、ずっと愛されていたのだ。私や神様に。

そして、さらにいろいろ深い魂のメッセージや、その私の中の赤ん坊からさらなるパワーやエネルギー、パフォーマンスの引き出し方を悟らせてもらった。


私は、この「愛しさ」でこれからも爆発したパワーでやってみようと思う。

私は、このエンライトメントで、本当の自分から、いろんな可能性の自分を目覚めることができた。

けれどもまだ、ここで心から感謝するつもりはない。
私の人生が終わって、自分が満足して感謝できるまで。

それが、「生きる」ということなのだ。


・・・とは言いたいけれど、


今は、感謝したい。

ただ、全てに。


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