幼少期から痴漢と縁が切れず、
私のセクシュアリティに対する考えはかなり混乱してきた。
え ろとセクシーはまた違うこと、
え ろもセクシーもそれぞれ奥が深いことはわかってきた。
でも今私が持っているセクシーさ、セクシュアリティというのは
私が嫌っていた男どもの餌食になるようなものではなく、
私という存在または私の表現の中に垣間見える生命力のようなものだと感じるようになった。
生と死、光と闇の間をギリギリのところで生き抜いてきた私に刻み込まれた、情熱といのちの限界のぶつかり合い、激しいと同時にろうそくの火のように一瞬で消えてしまいそうな儚さの中にある刹那的な輝き。
ダンスというのは同じ振り付けで踊っても人によってにじみ出るものが違う。
それはその人間の、内に秘めているすべて。
いのちと時間の有限性に全力で向き合うときにほとばしる汗に反射してきらめく光のようなものではないだろうか。
だから仕事でも表現でも全力でやる人が、私にはセクシーに見えるのだ。
そしてそういう人の精神も生き方も、魅力的で美しい。
見かけ倒しのエ ロに頼らなくても大丈夫になった自分を、
今は嬉しく思っている。
そして年を重ねることへの怖さがなくなる。
セクシーな人間は何歳になってもセクシーでいられるのだ。
そして今セクシーでないとしても、何歳からでもセクシーになれるのだ。