さて「スピリチュアルでないもっと合理的な代替手段はたくさんある」という文章に対して、具体的にはどのようなものがあるのか、という質問がありました。

 

今回はこのあたりを少し掘り下げてみましょう。

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そもそも、スピリチュアルの必要性ってあるの?

そもそも論ですが、スピリチュアルって本当に我々にとって必要なものでしょうか?

 

というのは、スポリチュアルが好きな人には、すごく必要なものかもしれないけれど、おそらく世の中の大多数には興味がない。あるいは、たとえスピリチュアルに関して鷹揚でも「必要かもしれないけど、よくわからない」程度の人が多い気がします。

 

そして、実際にスピリッツあるにのめりこんでいる人の言動を見ると自分なんかは、

「?」

と思うことが多々あります。

 

スピリチュアルを扱う人々の多くが人間の精神や心を扱っているという割には即物的俗物的金銭欲や物欲の強さが見て取れるからです。

 

まあ、部外者的に言えば、物質中心の世界において、精神的な安らぎや癒しって意味では、全く無意味とは言えないけれど・・・。ってのが関の山ですかね。スピリチュアルの必要性についてはそんな感じです。

 

ただしこれはあくまで部外者の意見。スピリチュアル側の人々にはもっと意見がある、あるいは意見では言えないけど感じる何かがあるのかもしれませんが。

 

安らぎや癒しはスピリチュアルしか与えられないものか

これも非常に疑問ですね。そもそも、スピリチュアルで安らぎや癒しを感じる人もいれば、感じない人もいる。

 

例えば、スピリチュアルにハマった人たちが読む文章。彼らが涙を流して心揺さぶられると感じる文章もその他の人が読めば奇妙な戯言になってしまう。

 

私も調べるため、書店のスピリチュアルコーナーで端っこから全部パラパラと眺めたりしますが、安らぎや癒しを感じられる文章と思ったことはないです。むしろ中には頓珍漢な脅しがあったり、妄想の爆発以外評価のしようがないものが多数です。

 

では、スピリチュアル以外に癒しや安らぎが得られないかというと、まあこれこそさまざまな代替するものがあります。ゆったりした時間や穏やかな気持ちになる芸術などもそうでしょうし、さらに問題点を論理的に解きほぐす学問がその役割を担うことさえある。コミュニケーションやネットワークが一助になることもあります。そのために視野を狭めないことが重要かもしれない。

 

スピリチュアルの与える真実

「でも私はスピリチュアルを知って真実に目覚めたんです」

こういう言い方は耳タコで聞きます。でもその真実って何なんでしょうね?

 

例えば、スピリチュアルのいうことを真実だと思ったのは「そのままのあなたでいい」と言われたから、というのがあります。要は自己肯定感を持てっということですね。

 

でもそれって、スピリチュアルが言う前に、心理学でも教育学でもずっと研究されてきたことで、自己肯定感を育てることの重要性は理解されているんですね。ここら辺、なかなか一般では理解されていないし、なんかニューソート系の自己肯定を唱える自己開発セミナーやスピリチュアル講師がはじめて言っているように誤解されていますけれど。彼らはそういったことをいかにも自分たちが初めていったように吹聴しますが。

 

さらに言うとスピリチュアルは手法として真実に決して到達しえないという問題点を抱えているってのもあります。真実をそもそも重要視しないし、真実を確証する手段を持っていないからです。間違っていても修正も謝罪もしない人たちです。批判も受け付けない、それなのに「真実」「真実」という真実の価値を大幅に下落させることばかりしています。

 

そういった意味でも「真実に目覚めるためにスピリチュアルが必要」などというのは、どう考えてもあり得ないものです。

 

嗜好品としてのスピリチュアル

最後に「私はスピリチュアルが好きだからやっているんです」という言葉を言う人。

 

これはスピリチュアルの必要性の中でも、一番しっくりくるものですね。たばこが好き、それが体に悪くても、ギャンブルが好き。それが確率的にトータルで損になるとしても。

 

スピリチュアルが好き、これが我々のようなスピリチュアルが好きでも嫌いでもなく、中身も胡散臭い以上に評価しない人間との違いです。

 

そういった人に「スピリチュアルの代わりになるものがあるか?」と問われても、答えようがない。スピリチュアルが好きかどうかなんて、その人の嗜好の問題に最終的に落ち着いてしまう。そしてそれは他人がとやかく言うことが難しいものです。

 

ただし、その嗜好品が問題を起こすなら、話は別です。ギャンブルが好きだから借金だらけになっていいというのは、おかしいでしょう。節度や限度は必然的にあるでしょう。スピリチュアルも同じで、自分や家族や周囲の人に実害を与えるなら、それはいくら自分が好きとはいえ、見直す必要はあるでしょう。

 

結論:

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スピリチュアルそのものが必要不可欠なものかというと大いに疑問。必要不可欠でない人の方が多い

 

安らぎや癒しに関してスピリチュアルは必ずしもそれを与えていないし、逆に他のものの方が与えている可能性が高い。

 

真実を教えるという意味において、スピリチュアルは全くその役にふさわしくないし、そもそも真実を与えていない。与えているふりをしていても、結局中身は他者の借り物ということもある。

 

特定の人々の嗜好に応える意味では、スピリチュアルに一定の価値はあるかもしれない。しかしそれはメリットとデメリットを比較すべきで、あまりに大きなデメリットがある場合は、嗜好品としても望ましいものにならない