俗っぽいインターネットニュース媒体の代表格といえば、J-CASTニュースだ。


会社も経営の紆余曲折の結果、無責任な情報発信に落ち着き処を見出したらしい。


一流にはなれない悲哀を感じる記事構成ばかりだが、便乗することだけには敏感である。


大槻教授が江原氏の批判本を出すとなると、彼でも利用をいとわない。


http://www.j-cast.com/2008/02/11016503.html


ご覧いただければおわかりだが、実にバカバカしいインタビュー内容。


記者はまじめな顔をして取材ができたのだろうか??

大槻教授の発言を見ながら、考察していきたい。

大槻教授においては、いつものとおり聞いたこともない出版社から出した、自分の本のPRである。


(大槻)

>私の本では、こうした多くの文化人が江原さんらに擦り寄っているという批判を展開しています。

>また、どうして霊が存在しないのかを科学の初歩から解き明かしています。


本屋で立ち読みしてみたが、霊が存在しないなどという説明などできていない。

大槻教授は命の仕組みと、肉体・精神の構造性を解明できているとでもいうのか。

ひとの主義主張の追求には妥協を許さないが、自分の主張の詰めは甘くてもよいのか。


そもそも、毎日おばあさんの位牌に手を合わせている更年期のおじさんに、たましいがうんたら~

とか言って欲しくないものだ汗

こうしたことを指摘されると、石田純一の、”不倫は文化だ”発言張りの主張になるんだろうガーン


(J-CAST)――大槻さんは、なぜ精力的にオカルト批判をなさっているのですか。

(大槻)

>一口で言いますと、現代の科学文明・社会に極めて悪い影響を与えているからです。

>それは大きく3点あり、最も心配なのは、霊感商法につながることです。全国霊感商法対策弁護士連絡会が

>再三にわたってテレビ局に霊能番組を自粛するよう意見書を出していますが、それと同じです。

>テレビ局側は>「江原さんは関係ない」と言うかもしれませんが、「オーラの泉」といった番組がコピーされて

>使われています。

>宣教ビデオとして使い、高額のお布施や寄付を要求しているのです。「霊の世界がある」と宣伝すれば、

>次に来るのは霊感商法です。だから、霊の存在が証明されるかどうかの公の検証番組が必要です。


残念ながら、頭が悪い。


まず、オカルトとスピリチュアルの定義の違いについて、労をいとわず解説してほしい。

社会に悪影響を・・・、というのは誰でも言いそうなことだが、科学文明(笑)にどのような影響を及ぼしているの

か教えてほしいものだ。そもそも、現代科学ではお手上げということなのか?


江原氏の出演番組が霊感商法に利用されているからダメだといいたいらしい。

ここまでくると、江原氏も当たり屋が多すぎてかわいそすぎるとしか思えない・・・

霊感商法を社会問題として憤るなら、別に江原氏を抜きにしてもがんばって証明活動をしてみれば良いでは

ないか。

江原氏の名前に便乗したいから、彼が目立つ存在であることが確かだから、あえて矢面にしているだけでは

ないか。


科学者として、検証者としての純粋性がなく、片寄りがあまりに強いことから、自ら観察者として資質不的確と

いうことを証明しているに他ならない。


(大槻)

>スピリチュアルが社会進歩を阻害するということです。霊能番組は、あなたの運命は霊界で決められている、

>と洗脳します。しかし、人間は、頑張って教養豊かになる、体を大きくしたい、などと向上心があるので

>進歩するのです。だから、科学者の一人として黙っていられないのですよ。


大槻氏は、自分の著書を宣伝するに際して、江原氏の著書はすべて読み込んだと発言している。

しかし、それは嘘である。


江原氏は、”運命は霊界で決められている”などと、一言も発言していない。

宿命と運命の違いについて、とても大切なテーマとして十分に解説されている。

運命の定義・意味合いについても、必要十分に伝えている。


ここで大槻氏のいう向上心とは、物質主義的価値観にのみとらわれたものであり、心を豊かにするという

視点は皆無である。

彼のいう進歩とは、物質的に豊かになることを求めたものであり、精神性は皆無である。

しかし、こうした主張をすることで、大きな自己矛盾に陥ってしまうのではないだろうか?

そもそも、科学者であっても一個人の人間であり、ひいては文化を受け入れながら育ってきた存在のはずだ。

私たちは、日本に生まれ育った。

そこにある文化は、目に見えなくても確かに受け継がれ、自分を形成する要素になっている。


立場を維持するために、そうしたことを否定し矛盾した発言をしつづけることは、大きな歪みとなって自分に

返って来るように思えてならない。

スピリチュアル批判論者の人々には、是非ともそうした根源的な部分を疎かにしない議論を展開してほしい。


大槻氏の場合、こうした微妙な傾向や主張の脆さが、当たり屋タイプとしての本性や人格を表しているのである。

批判論者に共通して言えるのは、主張することが目指す利益がどこにあるかを検証すると、

本質的に自分がどう認められるか、という点に始終する。


大槻氏は、どうやら江原氏になりたいらしい。

うらやましくてしょうがないのだ。

相手にしてほしいのだ。


かわいそうだが、ルールを守れない人間に、それはあり得ないことだと思う・・・