そして、誰もいなくなる‥。 | お宝日記ジェット

そして、誰もいなくなる‥。

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今から10年前のセリーグ・優勝チームは横浜ベイスターズだった。当時の監督・権藤博は可能なかぎり投手に負担をかけない先発・中継ぎ・抑えの投手完全分業制を確立し、その抑えにはハマの大魔神と呼ばれた絶対的なストッパー佐々木主浩がいたから、最小リードでもその点差を守り切る野球が続いた。攻撃面ではリードオフマンの石井琢から始まる打線は切れることがない事からマシンガン打線とよばれ、ガンガン打ちまくっていた。当時は毎年優勝争いにからんでいたくらい強かった。あの当時のベイスターズナインはみな元気ハツラツで所々にハッスルプレーが見られて、勝負事ではあったが、皆野球をすごく楽しんでいた。権藤は選手達が監督と呼ぶのを禁じて、ずっと権藤さんと呼ばせていた。そうする事で選手達との壁をなくし、本当に選手達とひとつになる事ができていたと思う。画像は権藤博の現役時代の活躍を語っているナンバー編のプロ野球ヒーロー伝説で、権藤は二年間で65勝を挙げているが、連投がたたり投手としての実働年数は五年と短かった。この間
、紹介した藤田元司も選手生命は短かった。だが、短くも悔いなく燃えつきたのであれば輝いた野球人生だったのかもしれない。自身の経験から投手に決して無理をさせない投手コーチとなり、数多くの投手を育てた。時には投手を守るため監督とも衝突する事もあった。近鉄時代の故仰木監督との対立はあまりにも有名だ。又、監督としての手腕も見事で、就任一年目でチームを優勝へと導いた。しかし、権藤がやめた後は低迷の一途をたどっていき、かつての優勝を経験したメンバーも放出されたり、FAでつぎつぎと出ていき、当時のメンバーも石井琢、鈴木尚、三浦大くらいしか残っていなかったが、石井、鈴木は戦力外に、三浦もFA濃厚なので、チームにはもはや優勝を経験したメンバー、特に野球を楽しむ事、優勝の喜びを知る人間はこれで誰もいなくなってしまう。あの時の元気ハツラツなベイスターズはもう遠い昔の事になるかもしれない。