僕は没頭しやすいタイプだ。他が見えなくなる不器用なタイプとも言えるかもしれない。

 

船を直しているとき、次の航海を計画しているとき、星を眺めているとき、海に出て直接風と波を感じているとき。僕は目の前の風景とそこで起こる出来事に没頭する。

 

街に出るとたくさんの情報の波が僕を押し流し、今自分が感じていることを理解しづらくなる。刺激的な広告、大きな音、飲食店の匂い、ボーっと眺めている携帯電話の画面。

 

たくさんの情報は僕の欲を刺激し、もっと早く、もっと安全で、もっと便利に、もっと派手に、人からの賞賛とたくさんのものを欲しがるように僕を導いていく。

 

僕はその情報の波、コンテンツという名の体感をともわない表面的なサービスに飲まれながら、自分自身が本当はどんなことを求め、どんなことをすれば自分は満たされるのかと迷い、自分と世間との価値観の違いに置いてけぼりになってしまているのではないかと不安になる。

 

僕はそんなとき、海にいく。海には広告やコンテンツといった便利なものは存在しない。そこには自分と、自然があるシンプルでダイレクトな体感が待っている。

刻々と変化する空や雲、力が湧いてくるような太陽の光、規則正しい星空、僕と船を目的地まで運ぶ心地よい風。それらは決して僕を刺激したり、導いたいはしない。ただ、僕が生まれるずっと昔から存在し、この地球と世界をカタチ作っていた。それに飛び込み、読み解くことで自分の意思と目指すべき目的地を明確にしながらその世界を旅していることに没頭する。そうすることで僕は自分自身を感じ、また周りの自然や人々からの影響や恩恵を感じることができるのだ。

 

僕は没頭した人生を送っていきたい。没頭した先に生み出される結果は成功でも失敗でもなく、納得のいく結果として僕自身を喜ばせる。その喜びは僕の生きる喜びへとつながる。

 

 

今、僕は新しい旅を始めようとしている。その先に何があるかはわからないが、持ち物はそれほど多くない。寝袋に食料、それと少しのお金と燃料。この旅を共有できる仲間がいればもっと素敵なものになるだろう。