ブログ更新1207回目。

みなさんこんにちは。

 

1.霊主体従

 

 いつもお伝えしているように、あなたの本質は、創造主=神がご自身をあなたに宿らせた「神我」=「分霊」である。

 

 他ならぬ神の御霊(みたま)が、主体であり、肉体は従属的な表現形態である。

 

 あなたの人相・手相・身体形態など、見えているものはすべて、前世以前のカルマが原因になって今生表れている。

 

 あなたの主体が神我・分霊であることを知り、理解が進めば、肉体は神我・分霊の言うことを効く。

 

 すなわち、善なる神我・分霊の力を、見えているあなたの身体に及ぼすことが出来る。人相さえ変わる

 

2.病の克服

 

 あなた自身が、神我・分霊を十分に知り、かつ深い理解に達するなら、あなたは絶対無病を体験する

 

 神我・分霊を十分に知り、かつ深い理解に達するということは、「悟りに達する」ことを意味する。

 

 悟りに達したものは、たとえ完治が不可能な病でさえ、神の完全さによって克服できる。

 

 筆者の講話を聴いただけで、2時間後には不治の肩こりが解消した人・大学の講師の道が開けた人など、病や運気が好転した方々は、枚挙にいとまがない。

 

 筆者が、神の完全さを信じ切って、全てを神に委ねているから起きることである。筆者の影響は、周囲の人に及ぶ

 

 ここで、一つだけ「悟り」についてお断りをしておく。

「悟り」は、常に進化し、深まっていく状態を表す言葉である。

 ある一点に到達した状態は、悟りとは言わない。通過点に過ぎない。

 何かに、気付き内面に変化が起きるたびに、悟りは、常に深まっていくものである。

 

3.イエス・キリストの御言葉

 

 『私の御言葉(みことば)を信じ、御言葉を実行するものは、私以上の御業(みわざ)をなすであろう』と。

 

 イエス・キリストの遺した御言葉は、人間意識では難解な部分が多い。

 

 それは、イエス・キリストが、常に神の階層からお話ししていたからである。

 

 あなたも、神の階層の意識で、イエス・キリストの遺した御言葉を読むなら、その深い意味が理解できるようになる

 

 そのためには、深い明想が必要である

 

4.まとめ

 

 深い明想を通して、神の世界に意識を上げれば、あなたの聖なる想念は、肉体に影響を及ぼす

 

 その結果、常に、見るからに気高く、慈愛にあふれ、優しさが漂う。

 

 決して、言い争わず、必要な時に、必要な場所に居るだけで、全てが、うまくいくようになる。

 

 人生の旅は終わり、真の自由を手に入れることが、できるのである。

 

多くの人が、深い明想により、「真の自由」を手に入れたと祈る

ブログ更新1206回目。

みなさんこんにちは。

 

1.愛という文字の秘密

 

 皆さんは、愛という言葉を見聞きすると、多くの人は、「愛情」と勘違いする。

 

 本来、「愛」とは、「創造主=神の愛」のことである。

 

 正確な言葉遣いをすれば、「創造主=神の愛」=「大愛」というべきである。

 

 創造主=神は、唯一、一柱の神であるから、「大愛」は一つだけである。

 

 大愛という言葉が面倒なので、単純に「愛」と省略してしまった。

 

 それが、人間の愛情と混同されて、ゴチャゴチャになっているのが、今の日本語である。

 

2.愛情

 

 愛情は、人間に宿っている本能に近い。

 

 なぜなら、神は自らに似せて、人間をお創りになった

 

 それゆえ、人間には神の「大愛」が宿されているので、人間は神の大愛を表現する能力を持っている

 

 残念ながら、人間は神を忘れているので、「大愛」を表現する能力を失っている

 

 人間は、自我という心を持っている。

その心(リッシンベン)+青=>情(心が青い)という意味は、未熟を意味する。

 

 いくら頑張って「愛情」表現をしたとしても、人間には未熟なままの「神の大愛」の表現しかできない。

 

3.「愛」は必ず受けるもの

 

 愛という漢字をよく見ると、「受ける」+「必ず」=「愛」になっていることに気付く。

 

 人間を創造するときに、創造主=神は、民族・人種にかかわらず、同一の神の「大愛」を宿らせ給うている

 

 それゆえ、愛は「必ず受ける」という意味を人に悟らせるために、聖なる漢字として、「愛」という文字が出来た

 

 人間は、例外なく、一人ひとりが、神の「大愛」を宿すものであることが、理解できるであろう。

 

 その神の「大愛」を別名(古代ヘブル語で)クリストと称した。

 クリストが訛って、「キリスト(日本語:神我)」となった。

 

4.まとめ

 

 キリスト誕生とは、『自分の中に神の「大愛」が宿っていることに目覚める』ことを意味するのである。

 

 これから、キリスト誕生を祝って、クリスマスパーティーが数知れず開かれる季節に入る。

 

 そのとき、「本来の『キリスト誕生』の意味」を、思い出していただきたい

 日本語で言えば、「神我の誕生を祝うこと」が、クリスマスパーティーの趣旨である。

 

 シャンパンで乾杯し、七面鳥を食い、ワインに溺れていては、本来のクリスマスパーティーの趣旨が失われる!

 

 日々のわずかな時間を割いて、自分に宿る「神の大愛」「神我:キリスト」を思い出す時間に充てていただきたい

 

多くの人が、「神我:キリスト」を思い出した、と祈る

ブログ更新1205回目。

みなさんこんにちは。

 

1.悟り

 

 悟りとは、人間が、人間意識から創造主=神の意識に昇華して、神と人間の「差」がなくなる状態を指す

 

 「差」を「取る」ので、「差取る」==>「悟る」となる。

 

 人間と神との差が、取れるので、「悟れる」のである。

 

 このようにご説明すると、多くの方々が、「私も悟りたい」と仰る。

 

 では、次のようにしてくださいとご説明すると、次第に諦めてしまう人が出てくる。

 

2.悟りのためにすること

 

 人間と神の差を取るのであるから、次のように思ってくださいと指導する。

 

 『私は神です』『私は神の大愛です』『私は神の大生命です』という三つの言葉のうちお好きな言葉を選んで、明想するという指導内容である。

 

 ところが、素直に、三つの言葉が言える人は少ない。

 

 今まで、「自分は人間だ」と思っていた方にとっては、「私は神です」というのは、違和感を感じるからである。

 

 その違和感を乗り越えた人は、いとも簡単に「私は神です」と仰るようになる。

 

 違和感を乗り越えられなかった方は、「悟りたい」と言うそばから、指導から離れてしまう。口先だけである。

 

3.自我の強さ

 

 自分は人間だという思いが強いので、神には近づけないのである。

 

 その、「自分は人間だという思い」こそ、自我の強さに他ならない

 

 強情っぱりの人を、自我が強いというけれど、そういうあなたは、他人を非難できるだろうか⁉

 

 あくまでも「自分は人間だ」と言い張り続けるのは、強情っぱりではないだろうか⁉

 

4.まとめ

 

 素直に、 『私は神です』『私は神の大愛です』『私は神の大生命です』と認め、その言葉の通りに明想できた人は、神の目にかなうのである。

 

 あとひと月もすれば、世界を挙げてクリスマスである。

クリスマス祭は、キリストの誕生日と伝わっている。

 

 そのとき、『私は神です』『私は神の大愛です』『私は神の大生命です』と言い切れた人は、真実のキリスト誕生を祝うことが出来る

 

 なぜなら、神と一体であると意識できた状態を「キリスト神我」というからである。

 

 多くの人が、あとひと月の間に、『私は神です』『私は神の大愛です』『私は神の大生命です』と認めた、と祈る