ブログ更新1214回目。

みなさんこんにちは。

 

2か月ぶりの投稿です。ご無沙汰しておりまして、恐縮です。

 

1.聖徳太子の言葉

 

和を以て貴しとなす」という言葉は、聖徳太子の言葉として教えられてきました。

 

 その本当の意味を知る人は、現代日本ではいなくなってしまいました。

 

 高僧と言われる人・大学の教授・名誉教授と言われる人でも、この言葉の真意を知る人はいないでしょう。

 

 なぜなら「和」という意味を、仲良し・平和裏に収める・親しみを込めるなどと受け取っている人がほとんどです。

 

2.「和」の真実

 

 「和」とは、「一つ」という意味です。元々は、輪っかの輪(わ)と重なる「音」でした。

 

 輪(わ)は、丸です。その意味は、無限大です。

表現上、丸(〇)を書いて表しますが、創造主=神が意図した輪(わ)は、無限の広がりでした

 

 輪(わ)は、円周と直径の比率が3・1415・・・という規則性のない数字が永遠に続く円周率を持っています

 

 その円周率は、「無理数」あるいは「超越数」と呼ばれます。

 

 輪(わ)が、円周率を持つので、無限を意味するということです。

 

 輪(わ)が無限でなければ、電車の車輪も自動車のタイヤもベアリングもスムーズに回転しません

 

3.和が無限なら

 

 輪(わ)が、音として「和」と同じなら、「和」も無限です

 

 ところで、無限は一つだから無限なのです

無限が、二つも三つもあったら、それは無限とは言えないのです。

 

 無限を構成する要素は無限にあります。しかし、「無限そのものは、たった一つ」なのです。

 

 直ぐに理解できなければ、じっくり考えてくださいね♪

 

もう一度繰り返します。

無限を構成する要素は無限にあります。しかし、「無限そのものは、たった一つ」なのです。』

 

4.まとめ

 

和を以て貴しとなす」という聖徳太子のお言葉の本当の意味は、『一つにまとまることが貴いのだ』という意味です。

 

 さらに、その深い意味は、「神と人とが一体化する意識こそが貴いのだ」、ということです。

 

 見える世界では、人間同士が仲良くすることは大事です。

 

 それよりも更に大切なことは、「神と人とが一つである」という意識状態にあることです。

 

 多くの人が、「神と人とが一つである」という意識にまとまった、と祈る!!

 

この続きは、次回へご期待ください。

なぜ、「神と人とが一つであることが貴いのか」の種明かしをします。

ブログ更新1214回目。

みなさんこんにちは。

 

2か月ぶりの投稿です。ご無沙汰しておりまして、恐縮です。

 

1.聖徳太子の言葉

 

和を以て貴しとなす」という言葉は、聖徳太子の言葉として教えられてきました。

 

 その本当の意味を知る人は、現代日本ではいなくなってしまいました。

 

 高僧と言われる人・大学の教授・名誉教授と言われる人でも、この言葉の真意を知る人はいないでしょう。

 

 なぜなら「和」という意味を、仲良し・平和裏に収める・親しみを込めるなどと受け取っている人がほとんどです。

 

2.「和」の真実

 

 「和」とは、「一つ」という意味です。元々は、輪っかの輪(わ)と重なる「音」でした。

 

 輪(わ)は、丸です。その意味は、無限大です。

表現上、丸(〇)を書いて表しますが、創造主=神が意図した輪(わ)は、無限の広がりでした

 

 輪(わ)は、円周と直径の比率が3・1415・・・という規則性のない数字が永遠に続く円周率を持っています

 

 その円周率は、「無理数」あるいは「超越数」と呼ばれます。

 

 輪(わ)が、円周率を持つので、無限を意味するということです。

 

 輪(わ)が無限でなければ、電車の車輪も自動車のタイヤもベアリングもスムーズに回転しません

 

3.和が無限なら

 

 輪(わ)が、音として「和」と同じなら、「和」も無限です

 

 ところで、無限は一つだから無限なのです

無限が、二つも三つもあったら、それは無限とは言えないのです。

 

 無限を構成する要素は無限にあります。しかし、「無限そのものは、たった一つ」なのです。

 

 直ぐに理解できなければ、じっくり考えてくださいね♪

 

もう一度繰り返します。

無限を構成する要素は無限にあります。しかし、「無限そのものは、たった一つ」なのです。』

 

4.まとめ

 

和を以て貴しとなす」という聖徳太子のお言葉の本当の意味は、『一つにまとまることが貴いのだ』という意味です。

 

 さらに、その深い意味は、「神と人とが一体化する意識こそが貴いのだ」、ということです。

 

 見える世界では、人間同士が仲良くすることは大事です。

 

 それよりも更に大切なことは、「神と人とが一つである」という意識状態にあることです。

 

 多くの人が、「神と人とが一つである」という意識にまとまった、と祈る!!

 

この続きは、次回へご期待ください。

なぜ、「神と人とが一つであることが貴いのか」の種明かしをします。

ブログ更新1213回目。

みなさんこんにちは。

 

ひと月あまり、ご無沙汰しておりました。SNSのアカウントのトラブルやイラン問題の対応などで、手間取っておりました。

 

1.すべての争いを止める

 

 人類は、今すぐ争いを止めなければならない。

 

 なぜなら、現在の地球は、もはや人類は一つの国だけで存在できる状態ではなくなっているからだ。

 

 昨今のニュースを見聞きすればお判りのとおり、全ての国々が何らかの形で物流・商流を通じた取引をしている。

 

 その取引が、戦乱という災禍によって寸断されている

 

 敢えて名前を出せば、中東・東部ヨーロッパ・中央アジア・中南米などなど、枚挙にいとまがない。

 

2.国同士の争いだけではない

 

 基本は、人間一人ひとりの闘争心を消していかなければならない

 

 国レベルだけではない。国の中の地域の争い、町の争い、村の争い、水争いなどなど、様々な争いがある。

 

 地域のレベルでも、子供のいじめの問題は、親の喧嘩の写し鏡である。

 

 個人のレベルでも、親子喧嘩、夫婦喧嘩、嫁姑の喧嘩、親戚同士の喧嘩、ストーカー行為など、身の危険に及ぶものまで出てきた

 

3.喧嘩の原因

 

 人間の争いの根本原因は、「比較する行為である。

 

 周囲の環境で見聞きしたものから、自分自身を比較する癖が人間の悲しい性(さが)である

 

 お金の多寡・土地の広さ・建物の豪壮さなど、物質文明の価値尺度が卑近な原因である

 

 一方、歴史的な民族のカルマ・国家のカルマなどが遠因になっている喧嘩もある。まさしく記憶の喧嘩である。

 

 恐喝する側の野心・恐喝された側の恐怖心なども喧嘩の原因である。

 

 この原因を取り除くには、「比較することを止めるだけ」でよいのである。

 

4.まとめ

 

 「比較することを止めるだけという意味は、五感の感覚を断つことである

 

 個人レベルでいえば「明想」の徹底である

 

集団の場合は、相手を認め理性的に話し合うことである。

 

集団は健全であるという大前提で、集団ごとの代表が話し合うことである(詳しくは後日お伝えする)。

 

多くの人が、明想に励んだ、と祈る