ブログ更新1212回目。

みなさんこんにちは。

 

1.時間空間の問題

 

 真理の追求をしていくと、必ずぶつかる壁が「時間・空間」の問題です。

 

 なぜかというと、明想(あるいは座禅・黙想など)の指導を受けるときに、指摘されることがあります。

 

 それが、「時間・空間という考えは誤りである」という内容です。

 

2.神は無限者である

 

 背景にあるのは、神・仏は無限者である。

 無限は二つあったら無限ではなくなる。

 

 ゆえに、無限は一つである。

 無限を構成する要素は無限にあるが、「無限そのものは一つ」である。

 

 その無限には、時空間が無い。なぜなら時空間があるなら、無限は無限で無くなる。

 

 したがって、神には時空間が無い

 

 このように述べられると、日常生活の五感の感覚に満ちた生活の中では、違和感を覚えるのではないでしょうか?

 

3.時間・空間の始まり

 

 実は、時間・空間というのは、「人間が五感の感覚に気付いた瞬間始まった」のです。

 

 アダムとイブが、リンゴの実を食べて、五感が芽生え・自我が形成され、自他の区別を感じた瞬間が、時間・空間の始まりです。

 

 リンゴの実を食べる前はアダムとイブは神の被造物のままで、神意識だったから、「自他一体」の悟りの境地でした。

 

 ビッグバンが、時空の始まりではないのです。

 

 イタリアの物理学者、カルロ・ロヴェッリの著書「時間は存在しない」(NHK出版)にもあるとおり、「時間は、人の認識の中にしかない」のです。

 

4.まとめ

 

 人間が、時間・空間を超越するには、五感の感覚を閉じて、明想を繰り返すことです。

 

 その結果、何が身の上に起きるかというと、自然法則を超えた、「より高き次元の法則」に従った生活が可能になるのです。

 

 簡単に言ってしまえば、「神の能力を現す生活」が出来ます

 

 過不足なく、平安で満ち足りた穏やかな生活です

 

多くの人が、時空を超える明想にいそしんだ、と祈る!

ブログ更新1211回目。

みなさんこんにちは。

 

1.インドの四住期

 

 インド古来からの人生の考え方に「四住期(しじゅうき)」という考え方がある。

 

 以下は、「四住期」のインターネット検索の結果である。

 

「学生期(がくしょうき)」
 まだ一人前ではなく、学び、心身の鍛錬を通して成長していく期間(0~25歳頃)。


「家住期(かじゅうき)」
 仕事を得て懸命に働き、結婚し、家庭を持ち、子を育てるために頑張る期間(25~50歳頃)。


「林住期(りんじゅうき)」
 世俗を離れ、迷いが晴れ、自分らしく自由に、人間らしく生きる時期(50~75歳頃)。


「遊行期(ゆぎょうき)」
 人生の最後の場所を求め、遊ぶように何者にも囚われない人生の最終盤(75歳頃~)。

 

2.現代の人生の四季

 

 インドの「四住期」には、人間の寿命が短かったころの考え方が色濃く出ていると感じる。

 

 翻って、現代日本では、「家住期」が65歳頃まで延び、「林住期」は65~75歳の10年間ぐらいに詰まっていないだろうか。

 

 「家住期」が長くなった分、「林住期」の自分を振り返る時間がなくなって、模索が続いている人が多いようである。

 

 すると、最後の「遊行期」に、「自分の人生って何だったのか」という答えが出ないまま、この世を去る人が多い

 

3.天上界の問題

 

 物質文明に毒されたままの考えの持ち主が亡くなると、意識は人間のまま見えない世界に入る

 

 人間意識のままでは、神意識ではないので、神の世界=天上界には入れない

 

 天上界に入れないので、再教育を受ける羽目になる

 

 再教育を受けて、もう一度生まれて人生をやり直して、私は神であったという気付きを、次の人生の時間内に得た場合は、神の世界=天上界に入ることが出来る。

 

 最近では、天上界の手前で、再教育を受ける人があまりにも多いので、教育係も大変忙しい。

 

4.まとめ

 

 人間としての人生から、直接に天上界に入る方法がある

 

 それこそが、人生を送る間に、「私は神だ!」と断言できる意識状態になっていることである。

 

 そうすれば、肉体から抜け出た瞬間に、神の世界に直行できる。

 

 なぜなら、「私は神だ!」という強い信念は、天上界の神の波動と同じだから、神の世界に入ることが出来る

 

 多くの人が、「私は神だ!」と言う実感を持った、と祈る!

ブログ更新1210回目。

みなさんこんにちは。

 

1.節分の掛け声

 

 古来、中国の追儺(ついな)に源流を持つ豆まきの習慣が、2026年2月3日の、今日も行われた。

 

 一般的には、家の中に災難・厄災が入り込まぬよう豆を撒いて追い払う。

 

 一方、福・幸いを招き入れるという意味で、家の中に向けて豆を撒くという意味もある。

 

 災難・厄災を「鬼に見立てて、豆を撒いて追い払い」

福・幸いを「福の神に見立てて家の中に招き入れる」という意味から、「鬼は外・福は内」ということになった。

 

 先に、鬼を追い出してから、福の神を招き入れる順番なので、「鬼は外・福は内」という順番である。

 

2.「鬼は外・福は内」の真実

 

 実は、「鬼は外・福は内」には、更に深い意味がある

 

 人間の外界に触れる感覚器官の情報が集まって大脳に記憶される。それらの記憶が「自我」という心を形成する。

 

 人間には、生まれる前から、生まれて活動している今も、そして、死してのちも消えることのない永遠の命がある

 

 あなたを生かしている生命力は、あなたが生まれる前から、死んだ後も生き続けているのである。

 

 自我の心は、競争し喧嘩をする・妬み嫉みで狂おしくなる。

 その狂おしくなる自我の心が「鬼は外」の鬼なのである。

 

 あなたの中で生き続けている「永遠の命」こそ、「真実の福の神」である。

 

3.生命は裡(内)に宿る

 

 人間は、外なる世界に関心が向かっている。自我の争いばかりに夢中になっている。

 

 そのままでは、幸福であることはできない。

 

 不幸の原因である自我を追い出すために、「鬼は外」と叫ぶのである

 

 自我を追い出したら、自分の内部には永遠に生きる生命力が残る

 これが、真実の幸福をもたらすので「福は内」と、自らに向かって断言するのである

 

 したがって、「鬼は外」は、自分の自我に巣食う悪しき心を追い出す決意の宣言である。

 

 「福は内」は、自分の内部に「永遠に生きる生命を探し出すぞ」という決心の宣明である。

 

4.まとめ

 

 釈迦は、「仏性汝の裡にあり」と教えた。

イエス・キリストは、「神性汝の裡にあり」と断言した。

 

 仏性も神性も、文化的・言語的違いだけである。

 

真理を学ぶ上では、「神も仏もあなたの内部に宿るのだ!」ということになり、同じ教えである

 

 親が無知なるがゆえに、子もまた無知のまま人生を終わると、イエス・キリストは、嘆いている

 

豆を撒いて、歳の数だけ豆を食べるのは、今年限りまで。

 

 多くの人が「鬼は外・福は内」の真実義を、次世代につないだ、と祈る!