ブログ更新1108回目。

みなさんこんにちは。

 

1.探し物は何ですか?

 

 自分探しが出来る人は、探す目的を把握している人です。

 

 自分探しが成功しない人は、探し物を知らない人です。

 

 探し物を見つけることが出来るか否かは、たった、これだけの違いです。

 

 皆さんが、家の中で何かを探すときは、「探すもの」を頭にイメージしながら探すはずです。

 

 まさか、探し物が判らずに、探しものをすることは無いでしょう。

 

 探し物のイメージもわからずに、やみくもに探し回っても、疲れ果ててしまい、最後は諦めるだけです

 

2.自分探し

 

 自分探しに成功する人は、「探すものが明確にわかっている」のです。

 

 それは、師匠、メンター、導師などと呼ばれる人たちから教えられることが多いはずです。

 

 筆者の場合も「ヒマラヤ聖者その御方からの直伝であなたの探し物は、『創造主=神』であると断言されたのです。

 

 断言されたからには、ひたすら創造主=神を探し出すことに集中して、日々の生活を神優先にしていったのです

 

3.迷路に入るな!

 

 筆者は幸運にも「ヒマラヤ聖者」直伝を受けることが出来たので、最短時間で「創造主=神」を探すことが出来たのです。

 

 世界中の師匠、メンター、導師など、いわゆる「教師」と呼ばれる人は、人間意識であるので、神を知らない。

 

 ニセモノの教師につかまると、探し物がわからないまま人生を終わるまさに、迷路に入って探し物にたどり着けないのです。

 

 「創造主=神」をひたすら求め続けるものは、人生の最終目的である「神」を見いだす

 

 なぜなら、「神の国=天上界へ帰還すること」が、人生の目的だからです

 

4.まとめ

 

 多くの人が、探し物に出会えた、と祈る!

ブログ更新1107回目。

みなさんこんにちは。

 

1.癒したくなる原因

 

 人間は、日々の生活に疲れると、「癒しを求める」気持ちになる。

 

 もとより、「なぜ、生活に疲れるのか?」考えたことがあるだろうか。

 

 人間は、親が無智なるがゆえに、幼少期から五感の感覚で生活するように育てられてきた

 

 それゆえに、肉体は使えば疲れると、思い込まされてきた。

 

 運動選手のように身体を極限までに酷使すると、栄養豊富な食事を提供されて、翌日はまたトレーニングに励む。

 

 トレーニングの成果が出なければ、メンタルも相当プレッシャーを掛けられる。

 

 ましてやオリンピアンのような特殊な環境に置かれると、個人が受ける重圧は、はかり知れないものがある。

 

2.癒しの種類

 

 癒しの種類は2つある。

 

 肉体の癒しと、心の癒しである。

 

 肉体の癒しは、飲食で満たされる。

 

 心の癒しは、休養である。俗にいう「ぼーっとする」時間、趣味に打ち込む時間に浸ることである。

 

 しかし、これだけでは何か満足できない、「癒し残し」が感じられる。

 

 なぜか、肉体の癒しと、心の癒しは、五感の感覚の癒しだからである

 

 心理学による癒しも、五感の感覚の延長上にあるので、なかなか効果が測定できない。

 

3.本源からの癒し

 

 「人間の生命エネルギーを活発化する癒し」の方法がある。

 

 人間が、自分を生かしている本源に遡って、その本源のエネルギーに気付き、そのエネルギーを自らに充填する方法である

 

 座禅でもない、メディテーション(瞑想)でもない、マインドフルネスでもない、のである。

 

 「明想」である。「私は私である」と思い続けることである。

 

 自分に内在する生命力は、「創造主=神からの直接の賜物だ」「神のエネルギーだ」という意識に集中することである。

 

 五感の感覚を超越した、『本源からの癒し』なのである。

 

4.まとめ

 

 本源からの癒しに気付いたものは、死後は、神のお傍に使える仕事が待っている

 

 本源からの癒しに気付かないものは、再び人間世界で、やり直しの憂き目に遭う。

 

 多くの人が、本源からの癒しを求めた、と祈る!

ブログ更新1106回目。

みなさんこんにちは。

 

1.助かりたいのは誰

 

 世の中のスピリチュアル講座は、「個人救済」ばかりである。

 

 個人救済の状態では、人間は誰一人助からないし、天も助けてはくれない

 

 なぜか???

 

 人間は、「自分だけ助かりたい人が多すぎる。

 

 私は金持ちになりたい。

 

 自己肯定感の高い人になりたい。

 

 積極的な潜在意識に書き換えたい。

 

 自分のビジネスを大きくしたい(上場したい)

 

 数え上げたらきりがない。人間の欲望の数だけ助かりたい人がいるのだから、、、。

 

2.人間は一人では生きられない

 

 人間一人だけ生き残っても、決して生きてはいけない。

 

 男女が協力し、男女も役割分担し、集落の中で生きるしか道はない

 

 芥川龍之介の「蜘蛛の糸」の最後に在るように、「この蜘蛛の糸は、俺の糸だ」と叫んだ瞬間、その蜘蛛の糸は切れた

 

 カンダタ人間界に舞戻されてしまったのである。

 

 蜘蛛の糸を登ってきた人々を助けようとしたら、その人々と共に、カンダタは、天上界にゴールイン出来た

 

3.スピリチュアルの原点

 

 スピリチュアル学ぶ原点は、「人類救済」でなければならない。

 

 自分だけ助かろうという動機でスピリチュアルを学ぶものは、その時点で失格である。

 

 初めは旨く行っても、カンダタと同じ運命を辿る。

 

 自分の中に宿る「神聖なる生命」は、全人類に平等に宿っている

 

 人類のうちたった一人でも、その「神聖なる生命」が、万人に宿っていると実感した時、人類は救済される

 

 ただし、救済されるのは、「神聖なる生命」を理解しようと努力している人々だけである。

 

 お釈迦さまは、「縁なき衆生は度し難し」と仰った通り、神聖なるものを理解しようとしない人々が、救済されることは無い

 

4.まとめ

 

個人救済は、無力である。本来、個人は無いのである。

 

 世界中の全人類が、一体として神聖なる生命を享受し、一体として神に生かされているのである

 

多くの人が、人類は全体で一つの神聖なる生命に生かされていると気付いた、と祈る!