*今日の記事はちょっと、文章も長いし
伝わる人が少ないかなと思いますがww
せっかく書いたからアップしておきます~☆☆☆
おはようございます☆
今日もこちらのブログにたどり着いてくれてありがとう☆
素敵な土曜日を創りだしましょう(#^^#)
***
文章を書くことが好き。
文章を書ける喜びを知っている。
それでも☆
文章を書いた後にときおり
「こんなのでいいか」
「誤解されないか」
「指摘されないか」
「万人に受けるか」
なんてことを「不意に」「無意識に」
考えている己に気づく。
好きなのに怖いのだ。
好きなのに不安になる。
好きな事をしているけれども、
そしてその事実を「認識している」けれども、
それでも恐怖を感じて「焦っている」のだ。
明らかに「気分が悪い」状態だ。
こんなときは
本当は出来るだけ素早く、奥深く、
わたしに浸って
わたしに潜って
「真相を」「本質を」
わたしの「本音を」掴みたいのだが、
「醜いわたしを観たくないベール」の膜が
何層にも重なっていて
「核」
にたどり着くのは時間がかかることも多い。
だからまずは「見えるところから探ってやる」
目の前の一歩先から探っていく。
***
文章を書くのが好きなのに
不安なのは
恐怖なのは
焦ってしまうのはなぜだろうか☆
完ぺきを求めている。
絶対に大丈夫なことを伝えたがっている。
*絶対なんてないってことを知っているのに
*ここでわたしは「絶対に大丈夫なコト」ってなんだ??
っと思う。
*自分のナカから出てきた「抽象的な言葉」を探っていく
って感じだ
そうして、
たいがいここで「わからない」もしくは「見えない」
ってなことになるから、
では「絶対に大丈夫なコト」の反対はなんだろう☆
と、
その反対の思考や言葉を探るようにする。
*すると、思考がすこし整理されるのだ
絶対に大丈夫なコト・・・の反対は・・・
「大丈夫でないこと」・・だろうか。
*ここで出てくる言葉は「ヒトにより・場合により、違う」
なぜなら「その瞬間の認識がそれぞれ違う」からだ
ではなにが「大丈夫でない」ことを恐れているのか☆
「大丈夫でない状態」とはどんなことを言っているのか。
すると、
「(見えない他人から)受け入れてもらえないこと」が、
「己が大丈夫ではない状態に「なる」ことに繋がる」
と考えている
・・・というような言葉が出てくる。
*まぁこの辺りは「自己対話」なので、
どのような対話が繰り広げられているか、
すべてを文章にするのは難しいです☆
批判されたくない。
攻撃されたくない。
要するに
自分が「大切に。書きたいことを書いた・・と思う文章」が
「誰かに批判されるのは怖い」ということだ。
だって
「わたしには大切だから」
「わたしにとっては良く書けたから」
・・・そうやって、
ここまで来れば「ネガティブの解決方法」は「見える」
*ここら辺りでもう「カンカク」に「アハ体験」的なものを
感じる。
「わかった・・」というような静かだけど力強いカンカクだ
*つまり、ここら辺りで(ようやく)もう「ネガティブ」は消えている
ってこと
ということはつまり、
わたしはわたしを大切なのだな
ということ。
わたしはわたしの紡ぎ出した言葉たち(文章)を
大切に思っている
ということ。
*こうやって文章にしてしまえば、なんてことはないことだよね
そこには(文章を書くことや文章を書いているわたしには)
「己に対する愛があるのだ」
ということ。
だからつまり
このように「好きな事をしているのにネガティブ」
なときの多くの場合
己を愛しているという自己認識が
少し甘くなっていたという事実に「気づきたかった」
ということだ。
もちろん「知っていた」のだが、
それは「知っていたつもりになっていたかもしれない」
ってことだ。
文章にするのは難しいが
それは「薄れていた」というようなカンカク。
認識が甘くなってしまっていたということ。
ヒトはときおり、
大事なモノを「忘れがち」「蔑ろにしがち」なのです☆
***
だからこの場合、わたしの本音は
本当は「文章を書くのが怖い」のでもないし、
「誰かに批判されないか不安」なのでもない。
これらはあくまで「起点」だ。
そこから「気づきたい」のだ。
「愛しているという認識が甘くなっている」ということに、
「愛のエネルギーをないがしろにしている」ということに
「気づきたい」から、
そのようなカンカクになっただけ。
もっともっと、
わたしを知り、わたしを認め、
わたしを愛する
ことを「わたしがやりたがっている」ということだ。
言ってしまえばそれだけなのだ。
***
己の真実にたどり着くために
いつだってネガティブは存在する。
この世界ではいつだって「プラスとマイナス」が存在する。
わたしの文章は「いつだって」
「誰かが批判し、誰かは称賛する」のだ。
そう「知っていて」もなお、「ネガティブは現れる」としたら、
あとは「本気で己に潜っていない」証拠だ。
ネガティブなカンカクはいつのときも
「己の本音を掴む」ために現れる。
「自分に愛を向けていなかったから」
「その認識が薄れていたから」
それに気づいてほしくてネガティブは現れた
だけ。
だからあとは「そこに気づくことをする」だけだ。
だからもう、
なにも怖くはないし
もう、
なにかにとらわれることもない。
すべての現実やカンカクを
誰かのせいにすることも、なくなる☆
誰のせいでもない。
それはつまり「己のせいでもない」ってこと。
気づくことが大切だっただけだから。
気づいて☆
あとはもう、
限りある今日を大切にすることを
すればいいだけだから☆
・・・今日の文章は、
伝わる人が少ないかもしれないなぁ・・・www
*伝わる人にだけ、伝わればいいです(#^^#)
☆☆☆☆☆
さぁ☆今日も☆
いま、ちょっと瞼を閉じて
深呼吸を3回してみましょう☆
それだけで
波動のチューニング完了です(#^^#)❤
今日も創造的な一日❤
楽しかったですね☆
いってらっしゃ~い☆
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