大きな勘違い | 月まで打ち抜けブログパンチ

大きな勘違い

以前PCサポート業をしていた時の事


あるお客から電話がかかってきました

もちろん初めての方


お客 「もしもし 元朝日新聞のXXだ!」


@ヒーロ 「お電話有難うございます 今回はどういったご依頼でございますか?」


お客 「聞いているのか! だから元朝日新聞のXXだ!」


@ヒーロ 「 はい XX様でございますね 」


お客 「だから!!元朝日新聞のXXだと言っているんだ!!」


???かなり威圧的に延々と元社名と名前を繰り返す。



私はこの時ピンときた。

このお客は声的に結構年配の声質 そして延々と何かをアピールする


要するに俺はいい会社に勤めていたエリートだぞ そのつもりでひれ伏して応対せよ!!

と言いたいのだろう。



結果的に「はぁ~ すごい良い一流の会社にお勤めだったんですね どうぞ宜しくおねがいいたします」

と羨望の目で見るような感じで持ち上げたらピッタリおさまった。



いるんですよね 過去の栄光にすがる輩 しかも他の人には全く関係が無く只のおやじにすぎないのに実に哀れである。



会社社会の中にも勘違いな人々は多くいる 本当にどこにでもいる


俺は仕事出来るぞオーラ出しまくりで そのジャンルすべてを知っているかのような言動、態度をする者


これも哀れである。



会社の看板があるから相手にされている事に気が付いていない。

一個人だったら全く大した事ないのにね。


例えば服を売るとする 大阪では素晴らしく売れる販売員だったとする

たったこれだけでどこででも通用する販売員だという事にはならない。


他府県に行くとその地域の県民性があって買い物の性質や買い方が大きく変わってくるもの


またファッション性の高い物と生活衣料とではまた売り方、売れ方が違う



自分に自信を持つ事は非常に良い事だと思うが その時点で架空のゴールという天井を自分自身でつけてしまうと もう伸びしろが無くなってしまう


視野も当然狭くなる そして周りからは一生懸命威張っている裸の王様に見えて哀れである

そんな様を周りの人の多くは何も言ってはくれないものです。




逆に天井を作らない人はまず 威張らない。

状況判断が鋭く いろんな情報を常に吸収している

自分のやっている事の骨格(本質)を理解している


こんなところでしょうか。



しかし残念な事にすべてを知ったかのようなふるまいをする人はかなりどこにでもいるものです。



そんな人が上司である確立も非常に高い。



それには日本の教育体制も少なからず影響を与えていそうです。


勉強すれば点数として結果がすぐさまリターンする

常にあるものをなぞる訓練を繰り返す

数式を解く、記憶する、結果として点数や 学校のランクに振り分けられる

こんな事の繰り返しがそんな人間性を生むのではと思う。



要するに今あるもの出来ている道筋をなぞるという事は非常に上手くこなせる人が出来てくる

しかし創造し新しい物を生み出す人間は生まれにくくなる。


そしてなぞる事が上手にこなせるがゆえに仕事であってもある程度できたら それで満足してしまい

広い意味合い、視点の違いでどうなるのか、直感的には?など 同じ事柄であってもいろんな答えがある事に気がつかなくなってしまう


今までの日本の教育カリキュラムではそうした 多様な考え方や興味を増幅させる事の比重はほとんどない


結果「井の中の蛙」さんがゲロゲロ大合唱を始める



世の中に出ると実はなぞって答えが出る事よりも正解のない事柄の方がはるかに多い




私自身は大丈夫って思っていても そんな教育社会に育った以上どこかでそういう一面が顔をのぞかせてしまうかもしれない。


うっすら埃が何層にも積って目に見えるようになってやっと気づくそんな事があると思う

すでに井の中の蛙になっているかもしれない。



積った埃に気づかなければいつの日か記事冒頭の電話のおっさんのようになっているかもしれない



いろんな視点、考え方を知り 自分は出来てるなんておごりは捨てて



定期的に自分の行動や言動を省みてゆく道を正したい

そうしみじみ思う。





大きな勘違いはしないようにしたい。