開かさタナ波真yâra和音。 -20ページ目

開かさタナ波真yâra和音。

一緒にガンダーラへ




最近何故かよく目にする

はるか昔や古代の摩訶不思議な建造物や歴史的遺産について、

「現代の科学では説明できない人間技を遥かに超えた技」を


宇宙人などの話に結びつけている考察が多いことに、
一言物申したい気持ちにかられていた。


進化論を刷り込まれ、科学が発達した「現代」を生きる人間は、
コンピュータやその他の科学技術を開発したが、


私は次のように考察している。

アフリカ大陸の人の視力が7.0とか、鉄道がないころ、脚を使い九州から江戸までおむすびだけで走ったり歩いたりできたりと、
人間の身体の機能や能力は、科学が発達する前は、もっと第六感や第七感を駆使できる能力が高かったのではないか

ということに着目して研究しているモノにはまだ、出逢えていない。

パソコンを使っての処理能力を上げた分、対人コミュニケーション能力は下がり、自己表現能力も低下した。

インターネットがなかったら、人間は「検索」ではなく「知恵」を絞って解決方法を探る。
人に教えを乞う。


ピラミッドの石を積み上げた人たちに流れていた時間は、今の時代の一日24時間のうち、それが苦役であったとしても18時間働けるような肉体が備わっている帯びただしい数の男性がいたかもしれない。


現代に生きるものは、
「今」の人間の標準を基準にものを考えがちだが、

騒々しい音や、夜のネオンがないころは、人間の感性はもっと研ぎ澄まされていただろうし、
働かなくても食べていける勉学に勤しめる環境が整っていた者は、ひとつの事象に対して深くを掘り下げていたに違いない。


女性も、洗濯を川でしていた時の方が逞しかっただろうし、釜で火をおこさないといけない生活をしていた頃は、薪を割り、ライザップなど行かなくても、重い荷物を背負って長距離をあるく、筋肉隆々の男性がたくさんいた。


だから、一概に「古代の人」と「今」の人間の身体的・スピリチュアル的能力と同列で比較するのはおかしいと思うのだ。


今日は、すごくしんどい一日だった。


でも、全て「良きこと」のためのステップとして受け止めながら、今日も暖かいベッドで横になって眠れることに感謝しよう。


心の重荷を少しずつ分けあってくれた人たちのおかげでずいぶん楽になれた。


本当にありがとうございます。


「乗り越えたと思った瞬間に次の試練は始まる。
だがそれは、さらに成長するためのステップに過ぎない。死ぬまで続くが、それが生きているということだ。感謝。」


今日も一日ありがとうございました。


Spirale-spirale うさぎクッキーハート