今日は5月10日なんだけども(^_^;)
「5月9日」=「号泣(59)の日」なんだと。
アタシがはじめてネット上で出会ったメンタルヘルス系のブロガーさん。これは彼女の友達のブロガーさんが命名したそう。
今見たとこなんだけどあまりにもタイムリーなのでアタシも勢いで書き始めたよ。
このブロガーさんは、それを受けた今日(5月10日)の記事『ゆるしあえる社会』の中で、”お互いがお互いのこころを受け止めあって、お互いがお互いの生きていく力を信頼しあって、ゆるしあえる社会。……泣きたいときには、素直に泣きましょう♪ 涙を流す自分を受け入れましょう。自分を受け入れる分だけ、ひとも受け入れましょう。”と書いてるんだな。
今日はどら息子の塾で行事があって、さらに面談もあってそこで指摘されたことには、うちのどら息子、何かあるとすぐ泣くんだそうだ。泣くといっても涙目になってがんとして先生の言うことをきかないということなんだけど、日本と同じく韓国でも人前で泣くことはみっともないことという感覚はある。もちろん文化、国民性が違うので、韓国のニュースを見てると日本人の感覚からするとオーバーなほど泣き叫ぶ場面に出くわすこともあるんだけど。(;^_^A
アタシくらいの年代なら子供社会で泣き虫な子は人間らしい待遇を受けてないと思うわ。泣く子は弱い子、泣くってことは負けている、正しいなら泣くことはない=泣くやつは”悪い”くらいの認識じゃないかしら。少なくともアタシは自分がそういう体験してるから、日本は”恥”の文化で人前で涙を見せることに厳しい文化であるとはいえるだろう。
それが今日のダイヤモンドセルフ・ナビゲーター@ヒロさんの共鳴セッションで、今朝洗い物してて感じた幸せ感を説明するのに感極まって号泣状態。幸せなんだから泣くことないじゃんっておもうのにね。
洗い物してるとき、ゲームのこと考えててそういう感覚になったから、最初からくわしく説明しようとするのでますます自分でも意味フ![]()
ついでに言い訳すると昨日から風邪で今日は熱っぽくて昼食もとらず、1時から始まるのにぎりぎりまで40分くらいくたばってたし。セッション後、塾にいくまでも倒れてたし。
なにはともあれ、泣いてると問題解決にならず、相手によってはより悪い方向にこじれていくことだってありえる。どら息子も今のうちに何とかしないと。
いやまず自分何とかしないと。でも先生が言うにはこれも”習慣”だからまあ3000回くらいをめやすにとかいうんだよね。
はっ!?それって、一年365日だから10年かけてなおしていきましょうねってことか!?アタシのつたない韓国語能力が熱っぽいのでさらに翻訳機能を失ってるのか。(たぶん後者)
この先生、まだ若い女の先生なんだけど、この大都市でも希少な美術心理学の専門家。つい一週間前なんか塾で父兄集めて有名大学の心理学の教授の講演会ひらいちゃうし。先生のポジティブな姿勢と”習慣”ということばに背中おされて帰宅しましたです。
んでもってメールの整理しようとしたらこの記事に出くわしたんです。
今日のヒロさんのセッションの収穫は、昨日、この自分だと思ってる自分がなくなるのではないかというところからくる恐れがすごくわいていたのを、この自分があっても”それ”とか”空”とか”ゼロ意識”を感じることは可能だということを共鳴前のお話で安心感を得られたこと。
あと、浄化がおきているとき体の調子が悪くなるとか、感情がわいてくるとかいうけど、ゲームで自分が(アタシのゲーム内分身として)勝手に後付け設定したブルトゥス家の次男アムリウスのことを考えるだけで’説明できないような幸福感’とか’自分の奥のほうに(創造性の)パワー’を感じたりして、ちょっと不思議体験してる。
4月18日の初セッションで感じた言葉にできない’自由’の感覚もそうだけど忘れたくないよね。そういう感覚で生きていきたいよね。浄化のときは自分のどす黒い感情とかに向き合うものかと思っていたけどそればっかりじゃないんだね。(もちろん、そうかなってことが主人やどら息子を通してあったし、お金のワークでも気づきがあったけど)
アタシはうつだったこともあって最悪な事態は簡単に想像できるんだけど、最高な状態ってあまり考えたことないんだよね。40代主婦がゲームしてるなんていうと変人間違いないだろうけど『ローマ:トータルウォー』で最高、最幸の大河ドラマ作りに励んではや9ヶ月。
この最高、最幸について考えることがもしかしたら”それ”とか”空”というものに通じているのかもしれないね。
意識の持ち方というのも”習慣”だから。
