お風呂から上がり、部屋着に着替えた瞬間にふとあるイメージが脳裏をよぎった。


 イメージ?


 昨日の夜中(24:00〜4:00くらいの間)、跳び起きた。シャワーでも浴びてきたのかと思うほどにぐっしょりとえりあしが濡れていた。それほどの汗をかいていた。ベッドから出て立ち上がり、なにかをした。なにをしたかはもはやわからない。でも、わざわざ立ち上がったのだから、なにかをしたのだろう。


 そんな、イメージ。もしくは、現実。



 あれは......夢だったのだろうか? それとも実際にぼくは起き上がったのか、単なるイメージがいま浮かんだだけなのか。


 ぼくにはもう、確かめるすべはない。



 そんな、どうでもいい話からスタート。





 鉄平さん、日曜劇場「ノーサイド・ゲーム」おつかれさまでした‼️

 
 最終回当日はその時間に映画を観ていたので、録画していたものを今日見ました、拓です。


 熱いドラマでした。数少ない” 男ってかっこいいな “と思わせてくれる物語でした。


 ぶっちゃけ、はじめは鉄平さんが出るから見るか、という消極的な姿勢でした。とりあえず鉄平さんが映っているのを確認しよう、ってくらいの、言ってしまえばただの作業でした。


 

 でも、いつのまにか、君嶋さんやアストロズのみんなが発生させる身体の伴った熱い想いに、惹きつけられていました。ラグビーというスポーツの性質的に、「剥き出し」にならざるを得ない瞬間瞬間が多いのかもしれませんが、だからこそ、ストーリー展開よりも、その一瞬を感じるために、ぼくは日曜日の午後9時にはテレビの前に座るようになったんだと思います。






 まあ、前述したとおり、最終回は別の映画を観ていたわけなんですが(笑)




 
 鉄平さんがセリフを言うたびに、自分だったら、と思いながら観てしまいました。セリフ言う前に緊張して噛みそうだなー、とか、棒読みしちゃいそうだなー、とか。しまいにゃあ、あれ、芝居ってどうやってやるんだっけ? と部屋でひとり青ざめてみたり。


 この現象は芝居の環境から少し離れた時期によく起こります。


 セリフなんて覚えられない、気持ち込めてなんてうまくできない、緊張する、ああ、芝居なんてムリだーーーーーー‼️‼️‼️



 だって、芝居って、よくよく考えたらスーパー不自然のかたまりですからね。周りにひとがたくさんいて、カメラまでスタンバイして準備万端、はい、泣いてください!! なんて普通じゃない。




 高校3年の冬、日本大学芸術学部映画学科演技コースへの入学が決まってから迎える朝は、毎日、憂鬱の海でした。どっぷりつま先から頭まで浸かっていて、息苦しいったらありゃしない。


 いつも、瞼を閉じたままの暗闇の世界の中で意識だけが一足早く戻ってくる。そのほかの身体的感覚はまだ夢の中のどこかを彷徨っている。そしてほとんどぼくの意思とは無関係に、勝手に、意識はこの問題について検討を始める。「ぼくは本当に人前で芝居なんてものができるのだろうか?」


 この時点では、ぼくは人前での芝居経験はほぼ0に等しい。確かに小学5年、6年のときの学習発表会のお芝居ではどちらともに主役級を演じた。5年の「にゃん太郎」、6年の「桃三郎」、自ら立候補して掴み取った役であった。桃三郎は出来のいいやつで、桃次郎というちょっとだらしない兄がいた。兄はだめなやつだったが、周りから愛されるキャラクターであった。ぼく、桃三郎はそんな兄を軽蔑し、出来はいいのだが、孤独を抱えていて......って、あれ? このときからそんな役?


 
 とにかく、ぼくは北海道の雪が舞う極寒の白い朝に毎日うなされていたのである。


 どう考えても人前で涙を流すことなんてぼくには不可能だ! 


 そんな未来への不安を払拭するために、毎晩遅くまでTSUTAYAで借りてきた映画を観まくっていた。名作を観れば観るほど、不安は増殖していった。そしてふてくされて眠りにつき、例の朝を迎えるのだ。地獄ループ。




 
 そんな不安のタネは、いまでもやっぱり完全には拭い去ることはできていないみたい。まあ、たぶん、ずっとつきまとうことなんだろうと思います。自分が選択し続ける限り。





 3月の「三國志」以来、セリフをしゃべってる機会ってないなー。「spin」はパフォーマンスだけだったし。


 

 おれ、いま、ちゃんと芝居できるのかな〜?



 あー、怖い怖い(笑)





 とにもかくにも、鉄平さん、おつかれさまでした。


 裏話ブログ、楽しみに待ってますよ。


 そして、終わったことだし、貰うもん貰うはずだし、またぼくらに焼肉食べさせてくださいねー😁