こんばんは。


スピニンの忘れ物担当、たく です。



 さあ。




 ぼくが高校生3年生くらいのとき、一時期とってもハマっていた人生のテーマのようなものをぽろっと思いだした。


 「 意味のあることをやっても、ただその意味が残るだけ。

    意味のないことに意味を見つけることこそ、真に意味のあることだ




 まるでなにかの早口言葉みたい🐸



 当時のぼくがどういういきさつでこんな発想にたどり着いたのか、いまではさっぱり思いだせない。
 この先の人生を憂慮した末にキズだらけで探し出した真理だったのかもしれないし、終わりの見えない不安定な世界情勢に対する唯一の対抗策として構築したものなのかもしれない。


 ただひとつだけ確実に言えることは、高校三年生のぼくは、ラッキーなことに「一般推薦」という枠でわりと早い段階で日本大学芸術学部さんから合格通知を受け取っていたため、無限とも言える思考の糸を、ほかの受験生よりも圧倒的に多くの場所に繋げることが可能であったのだ。




 つまり、めっちゃ暇だったのだ。





 とにかく、メガネに天パのブレザー着たひとりの解放された男子学生は、自分だけが世界の成り立ちの鍵を見つけたかのように、得意げに、意気揚々と、スーパーシリアスに友人に語って聞かせたのである。「いいかい? いまから言うことをよく聞くんだ......」

 




 大学受験を3ヶ月後に控えた授業中、みなが受験のために必死でノートを取っていた。一応道内でも有数の進学校であったため、みなが目指す先は大抵が道内No. 1の「北海道大学」、あるいは都内の名門私立校や京大、東大であった。ペンを握る手に熱がこもる。

 ぼくも必死に愛用のシャープ・ペンシルを動かしていた。ノートに次々と文字が書き込まれ、黒に染まっていく。



 ぼくは必死に、左手で文字を書く練習をしていた。もちろん、片耳でAIR-Gのラジオを聴きながら。ラジオから流れてくる知らない曲の歌詞をとにかく左手で書きまくる、机上の千本ノック。鬼教官はすでに倒れこみそうになっているぼくに一切構わず、日本語を、ときにノリノリな英語を交えて打ちこみ続ける。おらーどうした‼️

 


書けるわけないじゃん。こっちゃ、左手でやってんだからよー。




 そんな叫びも虚しく、ぼくはひたすらチャイムが鳴るまでいびつな文字を書き続けていた。







 これもそんな退屈な12月のある日、 

 どうしても早退したくなった。是が非にでも。

 具合が悪かったわけではない、体調は良好。ぽんっ! と思いついたのだ。あれ、おれいままで早退したことないな......。

 よし。

 動機なんてこんなもんで十分であった。



 昼休み中。保健室の前まで行き、一呼吸。わたしは体調が悪い、どうしても帰らなければならない、どうしても帰らなければならない。よし、いこう。ガラリ。そうか、このときから役者としての片鱗を見せていたのか。

 不審がる先生をよそに、帰りたいですの一点張り。おそらくメンドくさくなったおばちゃん先生は予想に反してすんなり下校許可をくれた。ふっ。



 忘れもしない。あの、しんしんと降りしきる雪で真っ白に上書きされた校門へ続く道。背後で5時間目の始まりを告げるチャイムが鳴り響き、ぼくはただひとり、不思議と荘厳な気持ちで校舎を後にする。振り返ると、ぼくの足跡だけがまっすぐに雪の上に残されていた。


 それから焼き芋でも買ってテキトーに雪の街を散歩して帰った。とくになにをするでもなかった。それでいいのだ。だって、早退すること自体に意義があるのだから。




 自転車で1時間かかる帰り道を走って帰ったことがあった。


 校舎の裏にある藻岩山を木々を掻き分け頂上まで登ったことがあった。

 「クリスマス大作戦」と名付けた、知り合ってから告白するまでを2週間で行うミッションを7組の名前も知らない女の子に実行した。もちろん、ふられた。


 etc......。




 これらの不可解なものたちを通じて、ぼくはそこにいったいどんな意味を見出せたというのだろう?

 やっぱり、意味なんてなかったのかもしれない。






 ぼくは毎日、自転車で学校に向かいながらいつも同じ思いを抱いていた。


 いつもの、あの曲がり角。あれを逆に曲がったら、どこへ行くのだろう? どこかへ辿り着くのだろうか? 


 そんな期待にも似た妄想を毎日抱えながら、だけど、一度も曲がることのできなかったあの道。



 いまは後悔している。行けばよかった。たった一度くらい学校をサボったからなんだというのだ。先生や親に怒られたからなんだというのだ。それがどうした。別に誰かが死ぬわけじゃない。


 もちろん、行ったところでなにもなかったかもしれない。


 でも、そこには一面の黄金に輝く麦畑が広がっていたかもしれない。いつまでもさんざめく波の音が聞こえたかもしれない。誰かが待っていたかもしれない。



 
 ぼくはどこかに行きたかったんだと思う。あるいは、なにかをずっと待っていたんだと思う。

 




いま SPINNIN RONIN として、役者として、意味のないかもしれないことに、意味を見出そうとしている。



  と言ったらすこしカッコよすぎるけど(笑)、ちょっといろいろ思いかえしてみると、“あれ”は、いまでもぼくのなかで生き続けているような気がしてならないのだ。





 今度の「 spin1.5




 ねえ、いつもと違う曲がり角、ちょっぴりのぞいてみませんか?





 もしかしたらそこには、あなたにとっての黄金の麦畑が広がっているかもしれないし、波の音が聞こえるかもしれない。