「 I wondered if a memory is something you have or something you’ve lost.」
ここ最近の梅雨空が少しだけ開けた、薄明かりの土曜日の午後。
みなさまいかがお過ごしでしょうか❓
SPINNIN RONIN の たく です。
なんにもない土曜日の過ごし方といえば、
たまった服たちの洗濯や散らかった部屋の掃除、昼にミートソース作ったり、J-wave聴いたり、髪切りに行ったり、ぼーっとしたり、映画観に行ったり、なんやりかんやり。
要は、ろくなもんじゃないってことで(笑)
まあ、女の子でもいたらもうすこしまともな休日を送れるんだろうけど、やれやれ。
とも思ってるような、特にそこまで思ってもないような。
少し前まで「spin」があって、そのリハがずっとあって、終わった次の週にはまた別の本番ステージがあって、と、ずーっとスピニンがあった。とにかく必死でもあったから、ただ前を向いていられた。前を見てさえいれば良かった。それはとても幸せなことで、余計なものがじわじわと入り込む余地はなかったわけで。
ぽんっ、とできた今日みたいなぼんやりDAYは、やっかいなことに、暇だからといって無用心に後ろを振り返ったりしてしまう。
箱から溢れ出る膨大な量の思い出たち‼️
無作為に手にしてしまうのは、大抵が目をつぶったり言葉を失ってしまうような最悪な出来事。いい思い出も山とあるはずなんですけどね〜、"チーム・悲しみ" が幅をきかせているんです。しっし、おまえらはどけ! あっちいけ!!
クリント・イーストウッドと並んで ウディアレンが好きで、彼の映画をよく観ます。
「ミッドナイト・イン・パリ」、「アニーホール」、「カフェ・ソサエティー」、「ギター弾きの恋」「スリーパー」、「マンハッタン」(このDVD真希からまだ返ってきてないな......)などなど。
「ANOTHER WOMAN」という作品がある。その中で、冒頭のセリフが出てくる。
「 I wondered if a memory is something you have or something you’ve lost.」
「 思い出とは手に入れたものなのか、それとも失ったものなのか。」
どうにも心に引っかかって離れないから、机に書いてしまったこの言葉。
卒業アルバムを開いたときに感じる、あの溢れでてしまう楽しさと涙ぐみたくなるような気持ち。
ぼくは時の流れを非常に憎んでいた時期がある。
それは、失うことはすべて時の流れに起因していると考えたからだ。秒針の動きが変化を呼び込み、変化が喪失を生む。でも、仕方ない。そもそもひとや生き物の根底には「終わり」という最高にぶん殴りたい義務があるんだから。
だからぼくは、身を丸くして、できるだけ体を縮めて、失わないように、じっと時の流れから身を守ろうとしていたのだ。
ある日、5歳年上のすごく綺麗な女性にそのようなことを話して聞かせたことがある。
「それは失うんじゃなくて、一緒に連れていくことだよ」
彼女はさらりとそう言った。草原に吹いた一陣の風のようだった。凧でもあったらとても高くまで飛んでいきそうだった。ふわり。青空に浮かぶ真っ赤なタコの凧。
だとするならば。
江戸時代の大名行列なんかお話にならないくらいの大・大・大行列がぼくの後ろには並んでいることになる。
ほう。
電車乗るときすげー迷惑だね(笑)
思い出とは手に入れたものなのか、それとも失ったものなのか。
まだ答えは出なさそうだけど、たまに振り返ったりもするから、そのときには、ちゃんと手、振ってほしいよね。