「ねぇ、人に刺された時のお芝居はどうするの?」
かつて、こんな質問をされた事がある。
先日のブログでもお名前をお借りさせて頂いた市川亀治郎さん(現・四代目市川猿之助)、27〜8歳の頃、これも縁あって約1年程付き人をさせて頂いた頃のお話しである。
京都太秦にある東映撮影所、そこへ、NHKスペシャル大河ドラマの収録の為に訪れた僕と亀さん。撮影の合間を縫っては、清水や(地名は分からないが)どこか綺麗な山道、緑道などをよく歩いた。写真を撮ることが大好きな亀さんは、足を止めてはパシャパシャとその風景をレンズに収め、楽しそうにその映像を見つめている。
京都芸術大学の非常勤講師も勤めていた亀さんは、翌年に行われる福士誠治さんと共演する為の舞台装置を確認するため、熱心に劇場を見て回る。大型の盆(回転する円形の板)を用い、どういった演出を構築するのかを劇場を右往左往としながら考える。その後、近くのインド料理屋でカレーを食し、京都の有名な日本旅館へと移動する。
ここには泊まるのではなく『珈琲を飲みたい』との事だった。まるで一般人(ではないが。)ズズッ…とコーヒーカップを口にする傍ら、窓から見える紅葉と庭園に広がる小さな池を見つめながら、日本歌舞伎の行く末を憂思うその横顔が眼に映る。
亀治郎さんと言えば、身長は160後半から170程、とても細身の体躯で、足の太さは当時の僕の腕程であった。だが、その体からは想像も付かない程の強靭な体力と演技力で舞台上を圧倒する。日生劇場では、奥行き何メートルもある最後列までの距離を、マイク無しで長ゼリフを轟かせるという、演技者を志したばかりの僕に雷を落とした瞬間でもあった。
当時、亀さんは良く歩いた。タクシーなどには殆ど乗らず、とにかく目的地までひたすら歩く。
良く後ろを振り返り「どうしちゃったの?!」と、笑われたもんである。
『歌舞伎を若い人達に伝えなくてはいけない』と良く口にしていた亀さんは、様々な現場で奇想天外な演出案や発想を繰り出した。当時、ワンピース歌舞伎などはまだまだ無い時代である。有名無名問わず、若い才能を持つ芸術者達を諸手を上げて受け入れた。恐らく数ある亀さんのやりたかった事の一つなのであろうと僕は思う。そして、恐らく僕もその中の1人ではあったのだろうか。
撮影の日が訪れ、舎人(とねり)の役を頂いた僕は京都の撮影所へと足を運んだ。
向かいに座るのは、皇家、後継ぎ扮する安積親王役の子役さんと亀さん。
僕は、亀さん扮する玄昉(奈良時代、藤原政争の渦中に巻き込まれた法相宗の僧)の家来として、その相反する皇家の後継ぎを毒殺(正確には毒殺に失敗して刺殺)する役目だった。
たった3人の現場に数台のカメラと沢山の照明や演出効果が加わっていく
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「ねぇ、例えばお腹が痛い時なんかのお芝居はどうするの?」
鉄板で焼かれたステーキをつまみながら亀さんはこう言った。
「まぁ、、お腹が痛い事をイメージして、意識を持ってって、『本当に痛い』と思えるように持って行く、、って言った感じでしょうか、。」
僕はステーキをつまみながらこう言った。
「ふーん、五感ってやつね。まぁお腹が痛い事はイメージは出来る、味わった事あるんだし。じゃあさ、人に刺されるようなお芝居の時はどうするの?」
「え、、。」
僕は固まった
「んと、、それもやっぱりこう、刃物で刺された感覚をイメージして、、。」
「でもさ、刺された事はないわけでしょ?ましてや死んでしまうってなった場合はどうするわけ?死んだ事ある人なんて1人も居ないじゃん。」
「、、、。まぁ、、はい、そうですね、。」
数あるメソッドがひっくり返されたワンシーンでもある。
「歌舞伎にはね、ルールがある。ノートと言うか教科書と言うか、長年培われてきたやり方と言うのが存在する。」
箸を完全に皿の上に戻し、僕はただ黙って亀さんが次に口にする言葉を待ちわびた
「例えば『お腹が痛い』という芝居。これは誰もが出来そうな芝居ではあるが、でもよくよく考えたら、お腹が痛い表現は1人1人違ってしまう。座り込む者もいるだろうし、お腹をさする者もいる、お尻を抑える人もいるだろうし無言で立ち止まる者もいる。つまりさ、見る人によってはそれが『お腹が痛いかどうかはわからない』という事なんだ。」
と口にした。
「な、なるほど。」
と、僕は口にした。
「栗が胃の中にあると思ってみて?」
「栗ですか?」
「そう、栗でもウニでも何でもいいから、とにかくそういったやつ。」
僕は、自分の胃の中にやや大き目のウニを創り上げた。
途端に動けなくなった
「ほら、お腹が痛そう。そして誰にやらせても多分そうなる。これが僕達の世界に伝わるメソッド。」
なるほど。
見に来てくれたお客様に共通の理解をもたらす。それは好き勝手では無く、より一番明確に表現出来るものでなければいけない。それが歌舞伎に伝わるメソッド。多分そういう事なのだろうか。
人に非るが優れる。それが俳優。その言葉を良く口にした千葉さんと、お客様に的確に届ける表現、それを幾千も追求する亀さん。役者とは好き嫌いがあってはいけないと、柔軟にこの世に存在するあらゆるメソッドを取り込もうと躍起になる。
それも一つ、これも一つ。
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カメラが回りアクションがかかった。
玄昉扮する亀さんは、その子役扮する皇家、安積親王に毒を混ぜた薬を作り目前に差し出す。
子役、毎度飲み続けるその苦い薬を嫌がり、舎人である僕の方に助けを求める。
僕、優しい笑顔を返し、その椀に入った毒薬をゆっくりと口に含む。
心配そうに見つめる子供。
僕、「大丈夫ですよ。」と笑顔を返し、再びその椀を子供の前に差し出す。
子供、その椀に注がれた病薬を一気に飲み干す。
ふと視線が気になる僕。前を見つめると、そこには後悔と懺悪に苦しむ玄昉が苦渋の表情で僕を見つめる。
僕
静かに笑い、ゆっくりと玄昉に頭を下げる。
そして、
口元から毒薬を垂れ流す。
『ううぅっっ…!!!』
途端に血を吐く子供。椀を投げ捨て部屋の中を暴れ回る。
玄昉っ玄昉っ、と叫び苦しみ、必死の形相で玄昉の僧服にしがみ付く。自身のしでかしてしまった事に慄き、恐怖で立ち上がる玄昉。
しかし、僧服を死に物狂いで引っ張り上げる子供を前に、玄昉は足元を崩しその場に倒れ込んでしまう。
僕
立ち上がる
しがみ付く子供を無理矢理引き剥がす。血を吐いて転げ回る子供を床に押し付け、懐に隠し持っていた短刀で一気に刺し殺す。
…っっ!!!
返り血を浴びる僕。
言葉を失う玄昉。
玄昉、僕の顔から滴り落ちる鮮血を前に、叫び狂いながら部屋を飛び出して行く…
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今までの会話、どこまで覚えてる?
グラスに注がれたミネラルウォーターを口元に運びながら、亀さんはそう言った。
鉄板焼屋に入ってから、かれこれ4〜50分経ってからの話である。
「えっと…、ウニや栗などをお腹に入れて表現するような、いわゆる歌舞伎界に代々伝わるメソッド、あとー…、古典演劇と歌舞伎の繋がりなんかを…、」
と僕は答えた。
「そう。人は話しを聞いてない。」
と言われた。
「えっ、、…⁈」
と、僕。
「それはどういう…、、。」
若干の焦りを感じながらも僕は尋ねた。
「人は、『会話の端から端まで』は記憶するようには出来ていない。『自分に興味のある部分』だけを絞り込み記憶させるんだ。その間にあるどうでもいい言葉や会話は記憶には残らない。それが『セリフ』。大事なのは『何を聞かせるか』という事。だから、どんなに長い台詞でも、全てをちゃんと言う必要は無い。早口で言うところも大事。」
なるほど。。。。
なるほどなるほどなるほどなるほどなるほどなるほどなるほどなるほど、、っ、、。
目から鱗の、鱗が飛び出し続けた毎日だった。
おちまい。