そもそもなんでダンスやり始めたんだろう・・。理由・・うーん。時代をさかのぼってみます。
 

 

 

高校の頃、部活が面白かったわけでもなく勉強ができるわけでもなく、友達とバカなことをするでもなかった加世田少年。一日の日課は帰宅して、中学時代から好きだったマドンナのビデオを毎日2回観るだけ。


毎日あきもせずドキドキしながら観る・・ああマドンナ、君を彼女にしてみたい・・英語はしゃべれないけどテレパシーで会話しよう・・。
 

そんな青春時代でした。
 

まあ毎日2回観ていると、振り付けも自己流で踊れるようになってしまいました。
ここで加世田少年は考えます。
 

俺はもしかすると・・世界で100本の指に入るくらいのダンサーなのではないのか・・。


・・浅はか・・。


そして日本は空前のダンスブームが訪れます。時代を先どっていた加世田少年。これは俺の時代到来だ!と思います。


しかし・・。

 

やってきたダンスはブラックダンス(後のhip hop)と呼ばれるストリートダンスで限りなく悪の匂いがするダンスでした。加世田少年の踊りはマドンナのバックダンサーの踊りだったので、どこかオネエ系なダンスだったのです。これはいかんと思い、テレビでやっていたダンス甲子園で情報をゲットする加世田少年。おむつパンツにテクノカット、もしくはパンチパーマに稲妻の剃りこみ。なるほど・・ボビオ、ハマオか・・(ボビーブラウンやMCハマーのようないでたちでディスコでオラオラ踊る男性のこと)選ばれし加世田少年はすぐさまブラックダンスを習得しようと夜な夜なディスコではなく、散歩に出かける。親は下着泥棒をしていると思っていたらしい。加世田少年の行先はボウリング場。プレイはせず。じっと待つ。そこにはMTVチャンネルが流しっぱなしになっていて、それをじっくり見る。スティング、プリンス、シンディローパーなど有名アーティストの新曲が聞きたいわけではない。


お目当てはそう、ボビーブラウンとMCハマーだ。

 

彼らのPVに現在大流行しているステップ、ランニングマンが入っている。しかしわずか2,3秒程度。その一瞬にかけ、ひたすら曲がかかるのを待つのである。そして小一時間待ち、ランニングマンの雄姿を目に焼き付けたら、神社に直行し、人目をしのいで練習するのである。努力の甲斐あって3か月くらいかかったか・・ついにランニングマンゲット!そして・・高校時代が終わった。


大学に入り、ダンス大会に出場。華々しくランニングマンを踊る加世田青年。このころはカウントの数え方がわからず。イチニ、イチニ、と運動会の行進のように数えていた・・。


しかし優勝しグアム旅行ゲット。



それから米軍基地の近くのクラブで毎週踊るようになる。黒人兵士と毎週壮絶なバトルにあけくれる。俺は黒人ではないかと壮絶な勘違いをする。靴底はガムテを張って、滑りやすいようにしている。このころ好きなアーティストが「うんちまっ茶色」でここに書けないくらいのエロラップだったが、加世田青年は外国語学校に行っていたにも関わらず英語ができなかったため、意味を理解しておらず、この曲で踊り狂っていた。後に歌詞を読んで愕然とする。

 



ダンスコンテストにソロでも果敢に出場・・。この時は予選通過だが結果何も賞はとれず。バブリーなお姉さんと・・。

 


    
大学のダンス部の宣伝。スローなR&Bが流行り、インド人からこれが流行りだとだまされて買ったパジャマのような服でセクシーに踊る加世田青年。これと併せて寿司屋で出てくるサバ、もしくはこはだのようなヒカリモノ系の模様のパンツも買ってしまう。



それから数年後、勘違いは雪だるまのように大きくなり、エンターティメントの聖地、ニューヨークへと行く事になる。

最後に高校時代の加世田青年。



そう・・才能とは思いこみなのである・・。