スペインはカタルーニャ地方。
のちに世界中の料理界を揺さぶる前衛的なレストランがここにあった。
男の名はフェラン・アドリア。
彼がシェフを務めたのが『エル・ブジ』だ。
ミシュラン3つ星を獲得し、4年連続で世界のベストレストランで1位を保持し、2011年に惜しまれながら閉店するまで世界一予約のできないレストランだった。
「斬新で、創造的で、芸術的」
彼の料理を人々は、そうもてはやした。
一方、イギリスはロンドンの西部パークシャーに世界で最も科学に精通したシェフがいた。
ヘストン・ブルメンタール。
彼が牽引するのが『ファット・ダック』だ。
現代アーティストと呼ばれた前者に対して、後者はより科学者のような料理を標榜としていた。
アドリア氏が、新しい料理を開発する場所を『アトリエ』と呼んでいたのに対して、ブルメンタール氏が『ラボラトリー』と呼んでいたことからも、後者の方が芸術より、より科学に近かった事が分かる。
アドリエ氏の故郷であるスペインのカタルーニャ地方が、『ガウディ』や『ピカソ』を生んだ『芸術の国』であるのに対し、
ブルメンタール氏の故郷イングランドが、ニュートンをはじめとする数々の科学者を生み出した『科学の国』である事が、互いの料理のエッセンスにも現れている気がする。
お国柄というやつだ。
ここまでを本で読んでいて僕は思った。
我が国の料理とは何か?
そこで思い出したのが『龍吟』の山本征治氏のこんな話だ。
「例えばここにキュウリがあった。
これは料理か?
それは料理ではなく素材である。
なら半分に切った。
それなら料理か?
それは半分に切っただけで、全く料理ではない。
ではどうすれば料理になるのか?
そのキュウリが今朝採れたてで、本当にみずみずしく、果物のように美味しいものだから、あえて半分に折って、真ん中のみずみずしいところからあなたにかじってもらいたい。
だから、半分に折っただけの状態のキュウリをあなたに差し出した。
やっている事は同じでも、そこに精神があるかないかで、それが料理になるかどうかが決まる。
それが日本料理だ。」
と語っている。
つまり日本料理は精神が大事と主張している。
なら、芸術の国が生み出したアドリア氏が『アトリエ』と呼び、科学の国が生み出したブルメンタール氏が『ラボ』と呼んだあの調理場を、日本人である自分なら何と呼ぶのか?
例えば、武士道のような精神鍛錬を信条とした思想は「書道」「茶道」「武道」などにも現れており、日本独自の文化な気がする。
人としての成長をめざす、それが「道」という一言に表現されている。
それは料理においても変わらず、調理場とは、鮨を通して心身を鍛え、自分自身に対して教育的な修行の場なのかもしれない。
キュウリを半分に折ったものが、芸術的なのか、科学的なのかは分からないが、少なくとも精神的なものである事は間違いない。
そんな場所を日本では『道場』と呼ぶのではないか?
