小説を買うときはたいてい本屋に出向きます。

 

表紙の後ろのところに書いてある概要をよく読んで、いろいろな本の中から面白そうなものを選びます。

 

「青い眼がほしい」は、どうやら黒人のピコーラが黒人であるがゆえに悲劇に見舞われる、という内容らしいと分かりました。

 

人種差別がテーマか、と思って買うことに決めました。

 

人種差別は私の中では主に教科書の中やテレビの向こうの話で、道徳的に悪とされるものという認識しかありませんでした。

 

こんな軽い気持ちだったからこそ、決してページ数の多くないこの本を読んで人種差別の「重さ」を知らされたように思えます。

 

 

 

この本にはいろんな登場人物がいて、それぞれの人生を追うという形で物語が描かれています。

 

なので、場面転換がとても多いです。

 

場面が変わるたびに小休止をはさみながら読み進めました。

 

登場人物のそれぞれの人生を追うことは、彼らがピコーラをぞんざいに扱ったり踏みにじったりする背景を描いていたのだと思います。

 

「だと思う」という表現を使ったのは、登場人物たちに同情の余地をまるで見いだせなかったからです。

 

ピコーラを踏み台にして人々(黒人たちも)は健康になり、美しくなり、自尊心を取り戻したりしたつもりになっていました。

 

ピコーラがただ「青い眼がほしい」と願ったことはごく自然なことです。

 

ピコーラは自分を踏み台にしたすべての人々を非難も告発もしませんでした。

 

踏み台にする人々がいることについてピコーラは鈍感ではなかったと思います。

 

だからこそ、「青い眼がほしい」という願ったのでしょう。

 

クローディア、フリーダ、ピコーラが子どもができる仕組みについて話し合っている場面で、

 

「愛されるってのはどうやるのかしら」

 

という台詞が出てきます。

 

物語の冒頭から荒んだ家庭を場面に話が展開されるので、3人の少女が「愛される方法が分からない」と話し合っていることには合点がいくのですが、

 

そうだとしても、物語を振り返ったときに悲しくなります。

 

場面転換で現れる他の登場人物の人生を追うと、人生の形はいびつながらも愛を感じ取れる場面を見つけられるからです。

 

それはピコーラの両親の人生の中にも。

 

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この本は衝撃を受けるシーンに圧倒されたり、表現の難しさに苦労しました。

 

何度も読み返して分かることもあるのかもしれません。

 

なので、今回は「青い眼がほしい」の第一印象でしかない浅い感想文が出来上がったと思います。

 

もっと感性と想像力を鍛えてから再チャレンジしたいです。