1月23日
夕方まで弟の家に滞在して
その後、検死結果を受取りに日進の病院に1人で向かいました。
そして、事前に普通の物だと死亡診断書の代わりになる死体検案書を調べて見たらこれがなかなかいい値段をします。
かかりつけの病院がある場合は1万円以内が相場で
警察のお抱えになると相場は3万から15万位まであるみたいでドキドキして受取りに行きました。
やはり相場の3万でした。
そして、この死体検案書を警察署に持っていきコピーを渡しました。
この時点で16時40分
そこから、火葬場を使用する為にこの死体検案書を
役場に持って行き死亡届をして火葬場の使用許可を頂きました。
その場でお金を5000円を支払い親父の事はひと段落して
役場の窓口で世帯主さんがお亡くなりになったのでお母様が世帯主になると思いますので変更をして下さいと言われてその手続きも同時にしました。
去年、役場の福祉課に相談に行った時に言われていた
税務上の扶養は年末調整実施してましたが世帯分離はして居なかったので同時にしました。
今まで私が課税で両親は非課税で私がいる事で恩恵がなかったのがこれで解消しました。
とりあえずここまでやって一度弟に電話をして母はこのまま泊まっていくとの事で1人で家に帰宅。
久しぶりに1人の家で色々と考え事をしていました。
バタバタして緊張も少し和らぎ涙が出てきました。
もう少し何かしてあげれたら良かった
そして、就寝
次の日
1月24日
8時には起きて母の礼服や自分の礼服を準備して10時から弟の家で葬儀屋さんとの打ち合わせがありすぐに向かいました。
そして、日程が決まりプランも決まり弟と気になっていた母を病院に連れて行こうと親父の亡くなった日に話していてその間に何度も母の保険証を探しましたが見つからず役場に再発行に行きました。
この時点で母は全然歩けない状態になっていて
車椅子で役場の中に入り手続きをしました。
そして、近くの病院に行きました。
弟と俺はご飯を最近食べたくてないといいなかなか食べてなかったので栄養失調になってる可能性があると思い軽い気持ちで点滴をして欲しいと思い向かいました。
病院に着くと血圧が測れないとの事
そして、急遽CTを取ることに
そしてかなりの時間を待っていると先生に呼ばれて
まさかの結果が
急性腎不全の可能性があるからここでは無理だから紹介状を書くから今すぐ救急で対応してもらって下さいとの事
弟は葬儀に参加させたくて先生に何とかなりませんか?と必死に訴えますが生きてる命を助けるのが仕事なので却下されました。
俺もそう思いました。
目の前に救える命があるならそれを最優先する事が大切だと思い
愛知医大に移動して緊急で診察を受けました。
結果は緊急入院
色々と頭が追いついていかないのを必死に理解して納得させて前に進むしかないと!
母にごめんな、、、
親父の葬儀にはオカンは参加出来ないんだよ、、、
オカンは目に涙を浮かべて
いいよ!あっかんべーしてやるって言いました。
オカンの強がりだったのはすぐにわかりました。
自営業でずっと一緒にいた2人だったから母に伝える事がとても俺が辛かった。
俺と弟でちゃんと見送るから安心して身体を治してな!
母は頑張る!と言ってくれました。
そして、母が病棟に移動して自動ドアが閉じた後に初めて告げられた事に弟が発狂して看護婦に怒っていました。
それは、別れも言えないで連れていかれて退院まで会えませんとの事。
これは病院側のコロナ感染予防でした。
その事をいきなり聞かされて怒る弟を必死になだめて帰宅しました。
この時点で23時頃でした。
次の日
1月25日
朝から病院に入院に必要なものを届けに行きました。
薬局でウェットティッシュを買って母のカバンの中が気になり漁ると昨日までなかった保険証も出てきました。
昨日まで弟と2人で3回全部出してなかったものが2つ出てきました。
これにはびっくりしました。
母がカバンを一切触ってなかったので2人で困惑しました。
そして病院に荷物を届けて弟と合流して昼飯を食べて15時に親父を葬儀屋さんが移動させに来る予定だったのでそれまで弟の家で色々と相談してました。
葬儀屋さんが来て
親父が葬儀場に着いて控室で安置されました。
通夜が18時からなので17時までに入って下さいとの事。
一度戻り礼服に着替えて葬儀場に向かいました。
通夜が始まり
今日は3人で行いました。
俺、弟夫妻
明日は俺の彼女も来る予定です。
父や母も色んなものを貰ったりしてました。
母の入院した時にも彼女はパジャマを用意したり、お花を持って来てくれたり色々としてくれました。
だから母の横で一緒に送って欲しいと頼み呼びました。
身内ではないから悩みました。
そして、通夜も終わり弟の家で着替えて帰宅しました。
1月26日
起きてギリギリまで親父の好きなものを探しました。
棺に入れてあげたいと思い必死に探して
生前ずっと着ていたツナギとまた乗りたいと言っていた庭にあるエスティマのエンブレムを剥がして
そして、昔レースをしていた時の写真と工具箱
弟は親父の大好きなラーメンを取り寄せて用意してました。
告別式
朝から葬儀場に行き
最後の打ち合わせをして
式が始まりました。
今日は彼女も入れて4人で行いました。
出棺前に思い出話で泣いてしまいました。
そして、葬儀屋さんの粋な計らいで取り寄せたラーメンを作って棺に入れてくれました。
みんなめっちゃ喜んでいました。
本当に感謝しかありません。
親父、自分で作れないから喜んでるだろうなって
棺にラーメンって少し笑う事もできました。
入りきらない花を敷き詰めて
最後の別れをしました。
俺と一緒に44年間、ありがとう。
そして、今までお疲れ様でした。