人知らぬ愛にたたずみ海を思う

君はもう何も語らない


ただまわれ まわれ

ひとりゆく舟 沈めてしまえ

いつか風は止むだろう


別離の不条理は愛知らず挽歌を唄う

歌声はせつなにあなたに手を伸ばす

もう少しあと少し

嗚呼 悲しみに届かない


時がまわるように

軽いめまいがすべての輪郭をぼやかす


消せぬ寂しさは旅愁に似て先を急ぐ

癒えぬなら共に急ごうか


今こそ唄え 唄え 共に唄え

ほら 遠くで挽歌が聞こえる





心ひとつ季節に戯れ

夢ひとつ昨日に忘れました


あなたの手紙

夢の終わりを詠いますね

終止符は秋の終りに打ちましょう


孤独が心を開く唯一の鍵ならば

今とびらを開きましょう


やさしさにすべてをゆだね

その時始まる愛があるならば

めぐる季節を夢み主役を演じるでしょう


またひとつ日差しが弱まります

夏を忘れ ひとり行けといわんが如く

はらはら舞い散る葉のように

私は落ちるところ知らぬ秋旅人です

ひとは”悲しい”という感情と”寂しい”という感情、どちらを先に学ぶのだろうか?

悲しい時も寂しい時も涙を誘う点で双方似た感情なのかもしれない。
しかし、”悲しい”や”寂しい”という感情をいざ定義するとなるとひとそれぞれでもあり難しいことのように思う。
でも思うに、”悲しい”という感情がまず生じて、時間的に悲しさが続くと”寂しい”という感情を抱くのではあるまいか。
大事なひとをなくしたとき、悲しさと寂しさを経験するが、それは悲しさがまずあって永続的に悲しみが残ることを経験上予感するから寂しさを感じるのではなかろうか。そういう意味ではより”悲しい”が根源的な感情のような気がする。

人間というのは、なぜ感情という得体の知れないものを持ち合わせているのか分からないけれども、感情がなければ、理性も存在せず人間といういきものは息途絶えて、きっとこの世に現存しないのだろう。