飛行機設計論(山名正夫、中口博著)
序章の一部引用~~
空の中に確かに自分はいる。しかし、その自分は一体どこに、どんな形でいるのかと問われても何と答えたらよいのだろう。いまの自分は確かにここにいる。しかしそれは、いまだけであって百年前にはここにいなかったし、百年後にもいないだろう。一万年前と一万年後にはどうか。永遠の時にくらべて僅か二万年の間ですら、自分がどこにいるのか答えようがないではないか。空々漠漠の中に自分を探しようもない。身も心も雲散霧消ではないか。、、しかし、どこにもないからこそどこにもあるのではないか。
(中略)
荘周胡蝶の夢、覚めて杢阿弥、空々不生無一物。ハテナ、たしか土手に綺麗な曼珠沙華が咲いていたぞ、ひとつ写生してこよう、ドッコイショ。
この時問う者ありて曰く、''汝は何者なりや、何処より来たり、また何処に去らんとするや''
(中略)
答えて曰く
''私はご覧の通りの男です。朝起きては顔を洗い、飯を食って仕事場に行き、夕方帰っては飯を食って寝ます。そのうち年をとって白髪頭になりました。ご覧の通りの私は平凡な男です''
と答えるも可なりではあるまいか。このように自問自答して問いと答えとを深めてゆき、遂には問う自らと答える自らとがすべて忘却の彼方に没して、一切の水月が一月に摂するがごとく万象と本来自然の合一なるとき、人は生きた空がすでにその人そのものに内在していたことに目覚めたと云えるのではなかろうか。そしてこの自覚が、真美に至る無門の門ではなかろうか。
~~引用おわり
著者の設計論についての経験を超えたところにある思想の一端のようです。
老荘思想のようでも、本居宣長のようでもあり、。
心に刻みたい言葉たちでした。
序章の一部引用~~
空の中に確かに自分はいる。しかし、その自分は一体どこに、どんな形でいるのかと問われても何と答えたらよいのだろう。いまの自分は確かにここにいる。しかしそれは、いまだけであって百年前にはここにいなかったし、百年後にもいないだろう。一万年前と一万年後にはどうか。永遠の時にくらべて僅か二万年の間ですら、自分がどこにいるのか答えようがないではないか。空々漠漠の中に自分を探しようもない。身も心も雲散霧消ではないか。、、しかし、どこにもないからこそどこにもあるのではないか。
(中略)
荘周胡蝶の夢、覚めて杢阿弥、空々不生無一物。ハテナ、たしか土手に綺麗な曼珠沙華が咲いていたぞ、ひとつ写生してこよう、ドッコイショ。
この時問う者ありて曰く、''汝は何者なりや、何処より来たり、また何処に去らんとするや''
(中略)
答えて曰く
''私はご覧の通りの男です。朝起きては顔を洗い、飯を食って仕事場に行き、夕方帰っては飯を食って寝ます。そのうち年をとって白髪頭になりました。ご覧の通りの私は平凡な男です''
と答えるも可なりではあるまいか。このように自問自答して問いと答えとを深めてゆき、遂には問う自らと答える自らとがすべて忘却の彼方に没して、一切の水月が一月に摂するがごとく万象と本来自然の合一なるとき、人は生きた空がすでにその人そのものに内在していたことに目覚めたと云えるのではなかろうか。そしてこの自覚が、真美に至る無門の門ではなかろうか。
~~引用おわり
著者の設計論についての経験を超えたところにある思想の一端のようです。
老荘思想のようでも、本居宣長のようでもあり、。
心に刻みたい言葉たちでした。