私の中のいかりとは?

俗に言うところの心に生まれくるいかりとは?

分からなかった。

いかり、むしろ悲しみと言うべきかもしれない。

愛されなかった。
求めもとめ続け、得られなかった。
ひとは言う、
ひとはひとを生み、愛を与え、満たされていくものだと。


なにかしらの行為のあとの産物。
馬鹿げている。
しかし、それが無意識に陰影を落とせば、それは、ひとにいかり、いや悲しみを生む。
ただ、そう感じ、納得していた。



しかし、
今そう、見えたのである。
おそらく、ひとが母と呼ぶのであろうような永続的であり、強固で衰えるどころか、むしろ螺旋のごとく発散的であり、しかし、それはただ単純に慈しみの姿を表現しているかのような実在が。


何故なら、めぐりめぐる連鎖を感じ得たからである。
そう、トランジットとしての虚無から時を越え、気を狂わすほどの陽光を浴び、ぬくもりを高めたのであろう美しい花瓶に己の生の息吹を注いだその時。


私は、ナニカヲ確信し、呪縛が解けていくほどに、

ただただうれしかった。