ものごとの本質が象徴するモノを観念 に当てはめるのが理学という写像Aだとする。
ものごとの実存が象徴するモノを観念に写すのが(心)理学という写像Bとする。
フレンチのサルトルさんによれば、実存は本質に先立つらしいから、実存と本質に包含関係のような写像Cがある。
だとすると、観念と実存と本質の間に写像AとBとCによる可換図式が成り立つ。
上のような考え方は、対象のない所謂哲学的思考なのでしょうか?
ものごとの実存が象徴するモノを観念に写すのが(心)理学という写像Bとする。
フレンチのサルトルさんによれば、実存は本質に先立つらしいから、実存と本質に包含関係のような写像Cがある。
だとすると、観念と実存と本質の間に写像AとBとCによる可換図式が成り立つ。
上のような考え方は、対象のない所謂哲学的思考なのでしょうか?