ノワール、警察小説、時々音楽 -5ページ目

ノワール、警察小説、時々音楽

一介の大学院生による読解の軌跡。

「人はこんなことに影響など受けないと思うものだ。こんなことすべて、なんなくやりこなすほど自分は強いと思うものだ。年とともに神経も太くなり、悪党どもを見ても自分とは関係ないと距離をもって見ることができると思うのだ。そのようにして正気を保っていると。だが、距離など無いんだ。神経が太くなりなどしない。あらゆる悪事や悲惨なものを見ても影響を受けない人間などいはしない。へどがのどまで詰まるんだ。悪霊に取り憑かれたようになってしまう。一瞬たりともそれは離れてくれない。しまいには悪事と悲惨さが当たり前になって、普通の人間がどんな暮らしをしているのかを忘れてしまうんだ。今度の事件はそういうたちのものだ。しまいにはおれ自身、頭の中を勝手に飛びまわる悪霊のようなものになってしまうんだ」

(文庫版 252、253頁)

 

 警察小説が時間をかけて獲得したものの一つに、ここでの言葉を借りるなら「頭の中」があるように思う。その中には「影響」を受けたり、「神経」が太くならなかったり、「正気」を保てなくなくなって、「悪霊のようになって」飛びまわる「おれ自身」とやらが潜んでいる、らしい。

 「探偵」と「刑事」はともに"Detective"の訳語なわけだが、両者の間には「探偵小説」と「警察小説」が別のジャンルとして認知される程度の乖離がいつの頃からか生まれている。

 この乖離をもたらしたものこそ、かつて風船頭の代名詞とされていた「刑事」という類のキャラクターにおける「頭の中」の獲得だったのではないか、そしてそこにはノワールの仄暗い影がさしているのではないか、等ということを薄ぼんやりと考えている。

 漠然としすぎて論文が書けないのである。何をやればよいのかわからない。ただうだうだしていても埒が明かないので、今まで読んだ or これから読むノワール、警察小説その他について思ったことをとりとめなく書いていくことにした。

 

 肝心の本作についてだが、一言で言えば狭い。同じく柳沢由美子女史が訳しているヘニング・マンケルの「刑事ヴァランダー」シリーズがスウェーデンの片田舎を舞台にしながらも近隣のバルト三国(あるいは遠くアフリカ)などとの交流を書くのと大きく異なり、本作は終始アイスランドにへばりついている。それも北海道+四国ほどといわれる狭い国土にという以上に、辿ろうと思えば32万の国民全ての血筋を追えるという縁故の狭さにへばりついている。そしてここが事件の核心部分でもある。

 被害者と加害者をめぐる血縁の問題と主人公エーレンデュルが抱える自身の娘に対する葛藤のダブらせ方というか、事情聴取中のエーレンデュルの身につまされ方が非常にうまい。レネ・ノイハウスのように捜査中の事件と関係なく主人公のプライベートが爆発する下品さも感じさせず、ピエール・ルメートルのようにこれでもかと主人公自身が狙われるのでもなく、慎ましい距離感で事件と刑事の「頭の中」が結ぼれていく。北欧ものらしくかなり社会的に重いテーマを扱っているものの、それほどげっそりしないで読めるのは恐らくこの距離感に嫌味なところがないからではなかろうか。

 まだこの一作しか読んでおらずこの作家のシリーズ感覚というものはわからないのだけど、少なくとも本作は非常に正統派かつ硬派な警察小説であり、読んでおいて一切損はない。ただし真っ当すぎて個人的には嫌いじゃないけどそこまで好きでもなかったりして。

 

 

『湿地』

アーナルデュル・インドリダンソン 柳沢由実子訳

創元推理文庫 2015