こどものころからいわば天然スピリチュアルだったのは、ひとまず置いておいて、
大人になってからのスピリチュアル探求開始点について書くことにしよう。
それは母乳マッサージだった。
長男を出産して、もともと体力皆無だったわたしは、子育て幽霊かというくらいぼろぼろになった。
息子は抱っこしていないと泣きどおし。
一日10時間抱いているのが当たり前みたいな日々だった。
当時は荻窪に住んでいて、妊娠中から近くの無農薬野菜のお店に通っていた。
そこには自然食関係の書籍も置いてあり「母乳マッサージ」をする助産師さんが書いた母乳育児の本ものもあった。
なにかすがるものが欲しかった子育て幽霊。
熟読してすぐに、中井にあったその人の施療院に予約を取った。
息子を連れて通いはじめ、数か月で母子ともに落ち着いてきた。
先生はやはり変わった人でもあって、いま思うとやや教条的だった。
完全に玄米菜食にすることをすすめられ、大豆程度しかタンパク質が食べられなかった。
それでも、息子が湿疹もなく、元気に育っていたので、まあよかったのだと思う。
施療院はまた、スピリチュアル書籍の宝庫でもあった。
いろいろと面白そうな本があり、わたしは次々に読むようになった。
27年前のことで、詳細は覚えていないのだけれど、それから図書館にもいって、
スピリチュアル本をかたっぱしから借りて読んだ。
育児はいまでいうワンオペだった。
夫が他者に関心を持つことが難しい人であることが、いよいよ明らかになっていった。
実家の母は17歳のときに母親を亡くしていて、こどもを産んだ娘をどうサポートしたらいいか、わからなかったのだと思う。
自分が一人でできたのだから、わたしもできるはずだ、と疑わなかったのかも知れない。
母乳は順調で、息子も問題なく育っていくが、わたしは肉体的にも精神的にも消耗していくばかり。
スピリチュアル本が心の支えだったのだ。
4年後に娘が生まれて、さらに3年間。
あまり記憶がないくらい、心身が疲れきっていた。
つづく...