旧約の預言書エゼキエル書、イザヤ書や新約聖書のヨハネによる黙示録などを読むと、

天の幻が描かれています。

いと高き神様の玉座があり、セラフィムや天使たちが賛美しております。

そして、

祭壇があり、そこに火があり、炭火もあるようです。

 

モーセの幕屋は、天の幕屋の雛型と言われていますが、

その地上の祭壇においては、

人の罪の贖いに、屠られた生贄を焼くことが定められています。

 

天において屠られた小羊がいることが黙示録に読みますが、

どういうことでしょうか?

 

私たちは、その小羊をイエス・キリストと判断します。

つまり、どういうことなのかを考えました。

 

イエス・キリストの受難は、

天において、その小羊が屠られ、血が流され、焼かれたことに相当すると思いました。

 

地上においてのイエス様のの悲しみと、苦しみと、血と水が分離する程の痛み。

朝の9時から午後の3時まで、3本の釘が十字架にぶら下がる身体を支えていました。

その時間、天において神の小羊が屠られ焼かれていたこととみなされていたのでは?

しかも父なる神様の目の前で。

十字架上で、イエス様は「わたしはかわく」と言われました。

 

ヨハネの黙示録に、神の神殿に屠られた小羊がいますが、

あそこにあの屠られた小羊が神様の目の前にあるから、

私たちは、今日も天国に目を向け、高らかに賛美することが許され、

祈りを聞いてもらえるのです。

 

あの小羊が神の前に存在しなかったら、

私たちは、

自分の罪の中に死に、私たちが硫黄の火の燃える池、永遠の滅びに行くことにか

なかったのでしょう。

 

身代わりになってくださった、小羊、主イエス様を

永遠に賛美いたします!