聖書にある理解の困難な箇所の一つが

マルコによる福音書3章の聖霊をけがす者への警告です。

父なる神をけがす言葉はゆるされるが、

聖霊をけがす場合は、

永遠の罪に定められるとイエス様は断言なさっています。

ユダヤ人の牧師先生の解説では、

御子イエス様が、聖霊の存在を高められている場面であり、

また御子と聖霊が親しい関係であることを表しているとのことです。

 

ある人が、自分への批判は何とか我慢できるけれど、

自分の愛する妻の悪く言う奴は許さない!ということがあります。

「イエスはけがれた霊につかれている」という律法学者への反論ですが、

イエス様は聖霊なる神がけがれた霊と批判されて、

相当怒られたのではないでしょうか?

イエス様と聖霊の絆を初めて思わされました。

 

三位一体の理解はとても奥深く、

父なる神様、御子なるイエス様はわかりますが、

聖霊、私たちの教会では聖霊様、と様をつけておりますが、

このお方の理解が私には十分ではありません。

 

なぜならこのお方は、

ご自分を隠されて働いておられるからでしょうか?

 

ご自分ではなく、私たちの心の目を御子イエスに向けさせておられます。

 

イエス様が天に挙げられた後、聖霊様はこの世に来られ、

風のように

姿を持たずに働いておられるのですね。

このお方は、私たちの「助け主」と呼ばれています。

何という幸でしょう。

 

そして今、

聖霊様は贖われた花嫁と共に、

イエス様の再臨を待ち望んでおられるから素晴らしいことです。

 

「御霊も花嫁も共に言った。

 来たりませ」        黙示録22:17

 

この謎であった御言葉の意味が分かりはじめました。