こんにちは
昨日はユウちゃんの療育に行きました。
大きなレインポンチョ&長靴で、アサくんを抱っこにユウちゃんはベビーカーのいつもどおりのスタイルです。
ユウちゃん療育の日はなぜか天気が崩れることが多い
療育先について、靴をぬいで手を洗います。
昨日ははじめましての先生が担当でした。
ユウちゃんは少し緊張した様子でしたが、先生の指示をよく聞き実行したり、苦手なスライムも先生の様子を見て慎重に真似して触っていました。
絵の果物とおもちゃの果物のマッチングやことば図鑑の指差しもよくできていました。
一時間まるまる落ち着いて課題に取り組んでいて、側から見れば特に問題のない普通の子。
先生からのフィードバックもそんな感じでした。
家での困りごとを相談すると
「お母さんが安全基地になっている証拠」
「家と外での差は誰にでもある」
「女の子は特にそう」
「家でおとなしくて外でちゃんとできない子よりマシ」
だって。もうそれ聞き飽きたよ
たしかに外でちゃんと出来るのはいいことだと思う。
自分でも「逆じゃないだけまだ良かった」って言う時もある。
でも安全基地っていう割にむしろ愛着障害の子みたいな行動ばかりするのはなぜ?
トゲトゲ神経質で怒ってばっかりだし。
まるで、いきなり目隠しでジェットコースターに乗せられたような泣き方するし(癇癪)
イヤイヤ期?いえいえ、赤ちゃんの頃からずーーーっとこう。むしろ今の方がまだマシ
安全基地で親をサンドバッグにするのが健全なんですか?
安全基地で親に試し行動するのが健全なんですか?
親だって人間だよ?こんな状態で、安全基地であり続けられるとは限らないよ
安全基地=愛着形成できてるはずなのになぜ?愛着障害みたいな困らせる言動ばっかり。
まだ概念化されてないだけで、親と健全な愛着関係を構築できない発達上の問題を抱えた子どもは多くいる気がするんです。
子どもが成人した後も親をサンドバッグにしてるケースもたまに聞く。お友達のお姉さんがコレらしい(とうに成人した娘が食事をボイコットしたり、お母さんが作ったカレーを鍋ごとシンクにひっくり返して捨てたり、親に向かって「死にたい」とか言ったり尋常じゃないでしょ?)
なのに療育先の指導員から、「よくあること、仕方ないことだからお母さん頑張って!」と丸投げされてる感じ。
概念化されていない課題に対してアプローチが確立されていないのは仕方ないことだけど
丸投げは違うんじゃないかな??
かつて発達障害という言葉がまだなかった時代にも「困り感の強い子ども達」は確実にいたはずで
親は他人からの無責任な言葉にうんざりしながら踏ん張って踏ん張って子育てしてきたんだろうな。
ラベリングされていないというのはなかなか厄介なことで、知的障害だけならダウン症の方がまだマシ!とすら思えるこの頃です。かなり麻痺してる??
人間素直なのが一番!
今日は朝訪問PTがあってその後はフリーです
スタバのいちごでも飲みにいこうかしら
それでは