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ユウちゃんが来月から通う療育のお話です。
徒歩圏内の療育施設が二件あるのですが、そのうちの一件、全国展開の大手療育施設は特色のひとつは『知育に偏らず、「徳育」を大切にする』と謳っています。
徳育とは、五育(=知育、食育、体育、徳育、才育)のひとつで、社会の一員である人間としての心情や道徳的な意識を養うための教育なんだそう。
私はこの「徳育」という言葉をその療育施設のホームページから初めて知ったのですが、私がユウちゃんに受けさせたかったのはコレだ…!と雷に打たれたような衝撃を受けて、すぐに体験の予約を入れました。
そもそもASD(=自閉スペクトラム症)の自閉的な特性というのは、超わかりやすく言うと「究極の自己中心的言動」と言い換えられると思うんですね。個人の見解です。知的障害がある場合は多分もっと複雑。
で、「自己中心的言動」の反対を「協調的言動」と定義したとします。
その協調的言動の軸となる「思いやりや利他的な考え方」を後天的に身につけるのが徳育なのかなと解釈しました。
ユウちゃんはまだ2歳で、言葉も出て来たてで自分の気持ちを言葉で伝えたり相手の気持ちを汲んで寄り添うことは難しい発達段階です。
それを考慮しても、生まれ持った気質として自己中なところがある子だなというのは親としてハッキリと感じていて。
自分の要求をわかってほしい気持ちはとてもとても強いのに、相手についてはほとんど関心がないんですね。
保育園の先生からも「同じ月齢の子と比べるとやや幼い、コミュニケーションの取り方が一方的」とのコメントをもらいました。
たとえば言葉がまだ話せないアサくんですら、相手と心を通わせたいとか、ママの気持ちに応えたいという想いが表情や触れ方に全力で表れてるんです。
生後1ヶ月くらいのまだ目が見えないはずの時期からすでに、私や夫への興味や好意の視線が熱烈に伝わってきてすごく驚いたし感動しました
アサくんのように生まれ持った気質として他者への関心が非常に高い子がいるのに対し、経験から学んで自己中心的な思考を矯正して思いやりを身につける子もいると思います。
ただそれって何度も失敗しては模索して、たくさんの人を傷つけて当然自分も傷ついて、挫折しては立ち直ったりしながら少しずつ少しずつ身についていく物ですよね。
立ち直れればいいけれど、途中で心を壊してしまう人もたくさんいます。
利他的な思考が必ずしも正ではないけれど、とは言え他人と関わらずに生きていくことはできないし、自己中も思いやりも巡り巡って自分に返ってくるじゃないですか
ASDとうつ病の併発率が高いのはそこが一因としてあり、不登校や引きこもりに繋がりやすいんですよね従姉妹に実際にいます
一度壊れた心は決して元どおりにはならないので、親の手が届かない場所でも「自分の心を自分で守りながら」潤滑に社会を渡っていける人になってほしいと思います。
日本人的な同調圧力を良しとするとかそういうことではなくて、「自分のことをわかってほしい、寄り添ってもらいたいのなら、まずは自分から他人に寄り添う努力をしましょうね」てことです。
そんな「徳育」ですが件の療育施設の方に問い合わせた時のこともまた次回に書きます。
それでは