いつもセンタ-の前でご飯を食べていると、
「おはようございます」と眠たそうな顔をしながら挨拶してくる青年がいた。

彼の名前はソペア。

いつも明るくて、おしゃべり好きで、
日本の歌が大好きで、週7日働く大学生。
$LiFe is BeauTiFuL - ハネ旅-



カンボジアではポルポト時代の話はしたがらない。
もちろん、家族を失った人もたくさんいる。
悲しい過去を掘り起こすのも失礼だし、
あたしたちからもあまり突っ込んだ話はしたことがなかった。


ポルポト時代にどう生きていたのか、
そして、その時代が終わってから、人々はどう生活していたのか。


まさかそれを目の前で聞くことができるなんて思ってもみなかった。




そう、ソペアはおしゃべり好き(笑)






彼の家族はベトナム出身で、カンボジアとベトナムの国境に住んでいた。

当時、カンボジアはアメリカ軍と北ベトナム軍の戦火の巻き添えを食らっていた。
平和だった村が、巻き込まれていく・・・・

ベトナムを潰そうと必死なアメリカは、
カンボジアにまで爆弾を落としていた。

彼のおじいちゃんはカンボジアに住みながらもクメール語が話せない。
ここでベトナム人だとばれてしまえば命はない。

必死に「私たちはカンボジア人です」という言葉を言い続けた。

その後も戦火は厳しくなった。
爆弾や銃撃などが繰り広げられ、家で安心して寝ていることすらできない。
おじいちゃんは家族を守ることで必死だった。

日が暮れ始めた頃になると、戦火が悪化する。
だから、おじいちゃんは家族を井戸の中に避難させ、
そこでみんなが丸くなって寝た。

朝になると、疲れ果てた兵士たちが眠りにつく。

それを見計らって井戸から出てきて、
食料の補給などをしながら、生活をしていた。


兵士たちがおじいちゃんの家へ来ては、
物を要求していった。その度に家畜たちは連れて行かれ、
しまいには猫や犬まで彼らの胃袋に入っていった。



ポルポト政権になった頃、
彼の家族は危機に立たされる。
ポルポトはベトナムやアメリカのスパイという言いがかりをつけて、
たくさんの人を虐殺していったのだ。


ベトナム人であるにもかかわらず、
なぜおじいちゃん一家が生き延びることができたのか?


おじいちゃんは軍隊の運転手をしていた。
兵士たちは、おじいちゃんがベトナム人であることを知っていながらも、
「ここの家族は残しておけ」
そう言って、おじいちゃん一家を擁護してくれていたのだ。



ポルポト政権が崩壊して、
ベトナムに戻ったおじいちゃん。
ベトナムに残していた家を見に行くと、
その地域も戦争によって破壊されていて、
勝手に知らない人たちが、「ここは俺たちの土地だ」と言って、
おじいちゃんの土地を乗っ取っていた。

おじいちゃんの人生は、波乱万丈そのものだった・・・・・



ソペアはそんな激動を生き延びたおじいちゃんの下で育った。
8.10歳くらいまで学校に行ったことがなく、
いつも家の農業を手伝って過ごしていた。

彼の地域にはたくさんの地雷が埋められている。

「ボーーーーーン」という爆発音が近くでして、
子供たちが亡くなってしまう光景も目にした。


ソペアはお父さんと、驚くことに地雷を地面から掘り起こし、
それを川に投げて魚を獲っていた。


危険ということも知りつつも、彼の行動に、あたしは度肝を抜かれた。
それが爆発して亡くなっているのを目の前で見ているのに、
彼はわざわざ地面から掘り起こしていたなんて、
常識では考えられない。



ソペアはいつも米作りの手伝いをしていて、
爪には土やら異物がたくさん入っていて、
彼は痛さで「書く」ことができなかった。


勉強はすべて、ボイスレコーダーに読み物やら算数やらを自分の声で録音し、
繰り返し繰り返し聞いた。

朝から夕方まで親の農家の手伝いをしながら、
ずっとボイスレコーダーで勉強をした。

夜になれば、電気がない。
読み物も見ることもできないので、
ずっとボイスレコーダーを聞き続けた。


彼の親は、音楽ばっかり聴いてると思っていたが、
ソペアはしっかり勉強していたのだった。



彼は今22歳の大学生。
日本で言えば平成生まれの男の子。
だけど、まるで日本の戦後のような、
想像を遥かに飛び越えるような生活をしてきた。
それでも、彼はこの話をはじめから終わりまで、
まるで笑い話のように、本当に笑いながら教えてくれた。


必死に勉強した成果がしっかりと出ている彼は、
英語も日本語も話すことができる。

頑張り屋さんの彼は、週7日働いいるにもかかわらず、貰えるお金は週$60。
家賃を払って、ご飯を食べる。
贅沢をしない生活でも、毎月マイナスの生活。


いつも日曜日は、バイトを午後からにして、
ごみ山の子供たちに英語を教えている。
もっとシフトを入れてもらえるのに、
彼はごみ山を優先する。


自分だったら、お金がない状況で、
仕事を削ってまでボランティアでごみ山に行くことができるのか?



彼には本当にいろんなことを教えてもらった。


「私は将来はレストランを経営してマネージャーになりたいです」


そう、キラキラと話す彼を心から応援したくなった。



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