かなり内容がヘビーかもしれないから、
また無理そうな人はスルーしてください。
プノンペンに到着して、カンボジア暗黒時代にどっぷり浸かることになった。
ベトナム戦争に続いて、悲劇の時代を迎えたカンボジア。
アメリカがベトナムから撤退した直後に、親米よりだったロンルノ政権は崩れ、
「クメールルージュ」が政権を取り、独裁恐怖政治が幕開けしてしまった。
クメールルージュ。ポルポト。虐殺。
800万人いたカンボジアの3分の1の国民がポルポトが支配していた4年の間に命を奪われた。罪のない人たちが処刑所に連れて行かれる。
まず、標的になったのが富裕層それから医者や教師などの知識人や映画俳優、ジャーナリスト。
「クメールルージュを君たちの知識を持って支えて欲しい」という文句の元に志願してきた市民を皆殺しにした。
学校も病院も銀行もすべて閉鎖。
一切の財産・身分をも剥奪して、これが完全たる共産主義とした。
すべての人が郊外の収容所に連れて行かれ、街はからっぽになった。
トゥール・スレン(S21)は政治犯収容所で拷問などに使われていた元学校。

ここに入ったら二度と外に出ることはできない。
助かった人は2年9ヶ月のうちで7,8人のみ。

A棟からD棟まである、とても広い敷地の中にある建物だった。

強力な霊感があるわけじゃないけど、特にひどい妖気を感じたのがC棟。
痛みに泣き叫ぶ声が今にも聞こえてきそうなくらい、そこで亡くなった人たちが
隣であたしの腕を掴んで助けを求めているような雰囲気が漂っていた独房周辺。
とてもじゃないけど、その場にいれずに、
その建物の中だけは体が拒否して一瞬で出てしまった。

残虐な拷問の繰り返し。ろくに食べ物すらもらえずに、ガリガリの姿で亡くなった人たち。
壁や床に未だに残っている血痕。

この収容所に足を踏み入れた一瞬で、
異様な雰囲気と、ここで行われた数々の非人道的行為が肌にヒシヒシと伝わってくる。
街中にあったこの収容所以外にも多数の人たちが殺された場所。
チュンエクにあるキリングフィールド。
国内にもたくさんあったキリングフィールドのうちの一つ。

ここでも大量虐殺が行われていた。

今はただの公園のように見えるけど、
おびただしい数の白骨死体がここから発見された。


順路に沿って歩いていてもね、道を見ると、亡くなった人の骨だったり、
衣服の破片が土に埋もれてまだ見えていて、
まだ土の中から発見されていない人たちがいるんだと思った。

子供にも女性に容赦しなかったクメールルージュ。
Killing Treeとまで名づけられたその木では、
生まれたての乳児が足を持って逆さにされ、
この木に頭を強く叩かれて命を奪われてしまった。
発見された当時のこの木には、血痕だけじゃなく、
赤ちゃんの脳みそまでついていたんだって。

同じ人種・同じ国民なのに、どうしてこんなことができるの?
これから絶対に独裁者が出ないとはいえない世界。
みんながみんな同じように平和を願っていてくれてほしいけど、
世の中には戦争フリークもいるし、
虐殺者を英雄視するような人もいる。
犠牲になった人たちが安らかに眠れるように、
今のカンボジアは立ち上がってほしい。

帰り道、ちょっと口数が少なくなってしまったあたしたちにほっこり現れてくれたワンちゃん。
バイクの荷物の上に立ってお家まで帰るんだって。

あぁぁぁ、この記事書いてるのも辛かった・・・・
ポチっとクリックお願いします☆

にほんブログ村
また無理そうな人はスルーしてください。
プノンペンに到着して、カンボジア暗黒時代にどっぷり浸かることになった。
ベトナム戦争に続いて、悲劇の時代を迎えたカンボジア。
アメリカがベトナムから撤退した直後に、親米よりだったロンルノ政権は崩れ、
「クメールルージュ」が政権を取り、独裁恐怖政治が幕開けしてしまった。
クメールルージュ。ポルポト。虐殺。
800万人いたカンボジアの3分の1の国民がポルポトが支配していた4年の間に命を奪われた。罪のない人たちが処刑所に連れて行かれる。
まず、標的になったのが富裕層それから医者や教師などの知識人や映画俳優、ジャーナリスト。
「クメールルージュを君たちの知識を持って支えて欲しい」という文句の元に志願してきた市民を皆殺しにした。
学校も病院も銀行もすべて閉鎖。
一切の財産・身分をも剥奪して、これが完全たる共産主義とした。
すべての人が郊外の収容所に連れて行かれ、街はからっぽになった。
トゥール・スレン(S21)は政治犯収容所で拷問などに使われていた元学校。

ここに入ったら二度と外に出ることはできない。
助かった人は2年9ヶ月のうちで7,8人のみ。

A棟からD棟まである、とても広い敷地の中にある建物だった。

強力な霊感があるわけじゃないけど、特にひどい妖気を感じたのがC棟。
痛みに泣き叫ぶ声が今にも聞こえてきそうなくらい、そこで亡くなった人たちが
隣であたしの腕を掴んで助けを求めているような雰囲気が漂っていた独房周辺。
とてもじゃないけど、その場にいれずに、
その建物の中だけは体が拒否して一瞬で出てしまった。

残虐な拷問の繰り返し。ろくに食べ物すらもらえずに、ガリガリの姿で亡くなった人たち。
壁や床に未だに残っている血痕。

この収容所に足を踏み入れた一瞬で、
異様な雰囲気と、ここで行われた数々の非人道的行為が肌にヒシヒシと伝わってくる。
街中にあったこの収容所以外にも多数の人たちが殺された場所。
チュンエクにあるキリングフィールド。
国内にもたくさんあったキリングフィールドのうちの一つ。

ここでも大量虐殺が行われていた。

今はただの公園のように見えるけど、
おびただしい数の白骨死体がここから発見された。


順路に沿って歩いていてもね、道を見ると、亡くなった人の骨だったり、
衣服の破片が土に埋もれてまだ見えていて、
まだ土の中から発見されていない人たちがいるんだと思った。

子供にも女性に容赦しなかったクメールルージュ。
Killing Treeとまで名づけられたその木では、
生まれたての乳児が足を持って逆さにされ、
この木に頭を強く叩かれて命を奪われてしまった。
発見された当時のこの木には、血痕だけじゃなく、
赤ちゃんの脳みそまでついていたんだって。

同じ人種・同じ国民なのに、どうしてこんなことができるの?
これから絶対に独裁者が出ないとはいえない世界。
みんながみんな同じように平和を願っていてくれてほしいけど、
世の中には戦争フリークもいるし、
虐殺者を英雄視するような人もいる。
犠牲になった人たちが安らかに眠れるように、
今のカンボジアは立ち上がってほしい。

帰り道、ちょっと口数が少なくなってしまったあたしたちにほっこり現れてくれたワンちゃん。
バイクの荷物の上に立ってお家まで帰るんだって。

あぁぁぁ、この記事書いてるのも辛かった・・・・
ポチっとクリックお願いします☆

にほんブログ村