「伝える、待つ」というソーシャルワーク

 学んだことの整理と日誌をせっせとやっていた際、
 このようなブログの記事をみつけました。
 うーんと考えさせられたので、
 ちょこっと吐き出し(´ω`)



 前者は確かに穴に落ちるという危険が回避でき、
 本人の生命を守ることができている。
 しかし、支援者の独断で行った行為は本人にとっての
 「本当の支援」になったのだろうか。
 きっとこれが“支援を行えている”という
 自己満足に繋がってしまうのではないか。

 “埋めてあげることがこの人に必要なこと”
 これは支援者の価値観であり、本人は
 穴を埋めるという選択をしないかもしれない。
 もしかしたら落ちることを覚悟で
 後者のように「このままでいいんです」
 とおっしゃるかもしれない。


 クライエントの自己決定
 (バイスティックの7原則)
 ⇒クライエントの選択と決定の自由を認め、
  そしてクライエント自身が、
  自分の置かれている状況の中で、
  進むべき方向を自分の意思と力によって決定し、
  行動できるよう援助する。



 それが生命に関わるものや
 制度・社会環境などに制限されない限り、
 SWは本人の自己決定を尊重することが重要である。
 記事の著者がおっしゃっている、
 愚行権について言うと、支援者側も
 その愚かな行為を止める権利はない
 ということなのかもしれません。

 まして、自分が考える“最良の選択”や
 “支援”を押しつけるなんて、
 SWの専門性なんてあったもんじゃない。
 もはやただのおせっかいなのではないでしょうか。


 SW援助は「やってあげること」ではない。
 本人が問題をしっかり認識して
 本人自身が選択をし、それを行えるように
 情報を提供したり環境を整えてあげること
 またその自己決定や変化に寄り添っていくこと
 なのだと私は考えています。




 さらに。もうちょっと言いたいこと。

 自己決定に関して実習で学んだこと
 確かにSWはクライエントの自己決定を尊重しなければならない。
 しかしそれが本人のエゴなどによるものである場合、
 それを支援することはできないということ。
 各社会資源の制限や倫理的な部分で、
 本人さん側にも我慢が必要な場合もある。
 本人さんの価値観や考えを変えることが
 SWではないが、ワーカーの考えや視点を
 本人さんにお伝えし、考えを変える“きっかけ”を
 残す必要はあるということを学びました。





 わたしは考えて行動するタイプだから、
 そういう部分では、根拠に基づいた言動をする
 SWは向いている気がしないでもない・・・・。
 理想と現実、はもちろんあるだろうけど
 実践を行う前に土台の考え方を
 しっかり確立しておきたい!のでしたっと。
 (まぁ、なれるかわかんないけどw)

 ふう。すっきり。