見に来て下さってありがとうございます。


先日、父が亡くなりました。


危篤と聞いた時は少し泣きましたが、

その後は普通に死を受け入れて、


「体から開放されて

自由に動けるようになって良かったね。

ありがとう、お疲れ様でした。」


と思うようになり、それからずっと、


死に際も、お通夜の時も、お葬式の時も、

今もそんな風に思っています。


全然泣かないので、


「私、薄情な人みたいだよね?」


と思いました😅

斉藤由貴の歌「卒業」の歌詞みたい。



脳梗塞で左半身麻痺になってから

今年で10年目、

色々あって正月明けから

口から食べることが出来なくなり、

骸骨のようにやせ細りました。

入院中に食べられなくなり(飲み込めないため)

寝たきりになり回復の見込みがなく

痰吸引が1日何度も必要になり、

最後は中心静脈栄養を減らす選択をしました。


姉のスマホに入っていた

10年前の笑顔の父を遺影にしました。


遺影を見た後に棺桶の中の父を見ると

別人のように痩せ細っているので、

何度見てもギョッとしました。


毎週面会していたので

痩せたことは知っているのですが、

10年前の遺影が本来の父の姿で

その頃のイメージの方が強く、

棺桶の中の骨と皮だけの父は

別人のように見えました。





本人はいつも飄々としていましたが、

長いこと体が不自由で

最終的には食べることが

出来なくなってしまったので、


83歳(来月が誕生日)ですし、

もう充分頑張って生きたよね

って思います。


長い時間をかけて

病と老いで弱っていくのを見てきたので

そう思えるけど、


もし、夫や子供が亡くなるとしたら

父の死と同じように思えないだろうな。


ショックだし、

喪失感は大きいだろうと思います。



もし、


83歳の父が元気に歩けて

車の運転も出来て

ハツラツとしていたとして、

そんな父が短期間で亡くなったとしたら、


もしかしたら、

死を受け入れるのにもう少し時間が

必要だったかもしれません。


病気と老いで弱って死に近づいていく姿を

長い時間をかけて

近くで見ることができた事と、

お世話をさせてもらった過程があるお陰で

すんなりと死を受け入れることが

出来たのだと思っています。


とゆうわけで、

連日のバタバタで疲れはしましたが、

私はいつも通りです😊


死後の手続きなど

やる事は色々とあるので動かねば!


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最後まで読んで下さって

ありがとうございました😊