いつもお読み頂き有難う御座います。


今はメルボルンにいます。今日で7日目。
投稿する頃はオークランドかクアラルンプールに移動してそう。

こちらでは全豪オープンを観戦。
ラッキーにも取ってあったチケットの日に
ジョコビッチの準々決勝があり
白熱したゲームに超感動。


準々決勝 ジョコビッチvSフリッツ 

ロッドレーバーアリーナ




日本人選手の出場してる車椅子テニスの試合も観戦出来ました。世界大戦で自国を応援出来るって 良いなぁって すごく感動しました。(小田選手、優勝しましたねラブ)


他には野生動物の自然保護区へ行ったり
文房具を探しての街ブラ、大聖堂や教会、そして
有名な古い図書館では 過去に無い何か不思議な感覚が込み上げてきてやばい事にえーん


ビクトリア州立図書館 




花火花火花火

便利なアプリのおかげもあって
私の周りでは 個人旅行が当たり前。

旅を自分でアレンジする…

日本だろうが海外だろうが、1人だろうが 団体だろうが「好きなとこに 好きな時に行く」
そもそも これが基本。


誰かが行くなら 自分も… 
とか
人がやってて面白そうだから
真似する
とか
誰かと行くから楽しい

…も 良いけれど

じゃあ
誰もいなかったら?
何も提案されなかったら?
誰からも誘われなかったら
1人でいる時

何をしたいの?
何が心地よくて
どこに行きたいの?

「自分という生き物の純度」

これについて
考えてみてほしいなぁと思います。



花火花火花火


そもそも
「自分」が ハッキリしてないのに「自分らしさ」とか「自分でいる」とか言ってる場合?

何を持ってして自分なの?
そこ、もっともっと見ていこうよ、…って話です。


花火花火花火


私の次の旅は2月、極寒のソウルおばけ

どうしても会いたい方がいて 
なんとかして
アポが取れたので会いに行ってきます。


そして、その次は5月のヨーロッパへ
仲間達と。
今は 絶賛 企画会議中(笑)

仲間達と、と言っても 
それぞれ行きたい所が違うので
どっかで落ち合えたらいいね、的な?
現地待ち合わせのパターン。




少し前に、たまたま見た海外のSNSで
心をギュッと掴まれた風景がありました。

あまりに強烈で
何度も何度も体感を確認…。

やっぱり見る度にドキドキ
具合が悪くなるほどの高揚感えーん

そこについて 調べ始めたら
出てくる出てくる…古い記憶。
点が繋がる…


私の思考の中には 
無かった単語、場所だったのに
忘れていただけ…なのかも知れない。

こんなにも震えるって
一体なんなの?

…それが魂の震えなのか?
未だわからないけれど口笛

震えが来るほど 行きたい場所があるって
…すごい事やんな、と。


花火花火花火

帰国したら それをうまく
文章に出来ると良いんだけど…

どんどん開かれていく. 
自分と言う本のページをめくるのが 
たまらなく幸せな今日この頃。


魂の震えをナビゲーションとして
自由に世界に 旅していく。

そこで また新しい自分に出会ったり
何かに導かれる…



そんな事して 何になるの?

んー、何にもならないかもね(笑)

それで 生活出来るの?
役にも立たない、お金にもならない
非効率なお話だよね

…でもさ、そもそも
何かになる必要も 
なんかの為になる必要も
無いと思わない?

損得より 今 の純度。

永遠の魂を生きる中の
地球と言う場での体験会は続くんです。
ずぅーーっと。