はじめまして!
spicaという名前でブログをはじめてみました。
2003年生まれの20歳です。
趣味は旅行と映画、音楽を聴くことです💐🤍
2023年の冬にそれぞれ10㎝以上の大きさの両側卵巣腫瘍が見つかりました。(通常の卵巣の大きさはそれぞれ2,3cmです。)
最初のクリニックから数えて計5か所の病院を渡って、結局自分の学んでいる大学病院に行きつき、やっと2月末に手術日程が決定しました。
ここまでを時系列でまとめると以下のようになります。
2023年
9月~ 周期20日以下の頻発月経と不正出血
12月5日 月経不順のため婦人科クリニックを受診
12月16日 クリニックからの紹介でMRI検査
12月27日 クリニックにて、MRI検査結果から卵巣腫瘍が認められるため、手術の必要があると言われる
2024年
1月10日 クリニックにて医療センターの紹介状を受ける
1月29日 医療センター初診。
2,3月の手術枠が埋まっているため、医療機関Aの紹介状を受ける。
その日中に紹介された医療機関Aを受診
手術日程が2月26日に仮決定
1月30日 医療機関AにてCT検査
2月1日 医療機関Aにて腫瘍マーカーの値が高いことから大学病院へ紹介される。
2月6日 大学病院初診
2月9日 検査結果から良性腫瘍の可能性が高いこと、希望であった2,3月中の手術は厳しいことを伝えられる。
2月29日 手術日程が4月上旬に決定
腫瘍が見つかったのは、11月頃に、夏休み明けから続いていた頻発月経と不正出血で婦人科クリニックを受診したことがきっかけでした。エコー検査で卵巣の肥大が認められたため、MRI検査を受け、卵巣腫瘍が見つかりました。クリニックで検査結果から、腫瘍がとても大きく、手術が必要だと言われました。これが年末の出来事でした。
最初のクリニックで卵巣の腫れがあると言われたときは、きっと大したことないだろう、自分はこんなに元気なんだし、今まで大きな病気もしたことないし、と最悪のパターンを考えないように努力していました。学部のテストも一段落して、検査結果を聞きに行って、いざ「腫瘍」という言葉を聞くと、不安でたまりませんでした。
年末は中高の友人たちとたくさん遊びに行く予定を入れていて、成人式も控えていました。とりあえず年明けまで病気に対して自分ができることは情報を集める以外にはなかったので、この年齢なら悪性腫瘍(がん)の確率は低いだろうと、不安な気持ちを押し殺して、家族にも心配させないようになるべく明るく振舞っていました。大丈夫、大丈夫とほぼ自分を洗脳するような形で不安と隣り合わせではありながら、なんだかんだ冬休みを楽しんでいました。
精神的にこたえたのは1月に授業が再開してからでした。
まず、辛かったのは、部活に参加できないことでした。卵巣捻転の可能性があるため、年始からは激しい運動を控えるように言われてしまいました。体を動かすのが好きなので、みんなが運動しているのを見ていると自分もやりたくてたまらなくなってしまいました笑 さらに病気のことを部活のメンバーや友人にいうのもとても勇気のいることでした。あまり人に心配をかけたくなくて、連絡をするために何度も文章を書いては消してを繰り返して、何日もかけて連絡しました。部活の先輩方や同輩はとても優しくて信頼してるからこそ、言うのが辛かったんです。良性腫瘍の可能性は高いものの、腫瘍という言葉はインパクトが強すぎて言うのをとてもためらいました。病気でと曖昧に伝えることも考えたのですが、余計心配させてしまう可能性もあるし、きっと言わなければ正確に事情を伝えられない場面が今後来るのだろうと思い、伝えることを決めました。
1月29日に複数の医療機関を朝から渡り歩いたのも、なぜだか精神的にとても負担でした。これから自分はどうなってしまうのだろうと漠然とした不安に駆られて、とても疲れてしまいました。医療機関Aの方々が手術日程を早めに抑えてくださり、こちらの希望に沿ってくださったこと、本当に感謝しかありません。
医療機関AのCT検査では、造影剤を入れた後に、看護師さんが部屋から出て1人になった少しの間に、迷走神経反射と見られる症状で意識を失いかけました。吐き気がして、目の前がどんどん暗くなっていって力が抜けていく感じでした。近くにいた患者の方に助けを求め、すぐに看護師さん達が駆けつけてくれました。「1人にしてごめんね、怖かったね。もう大丈夫だよ。」と看護師さんや放射線科の先生が優しく声をかけてくださり、とても安心しました。意識を失いかけたあの瞬間はとても強い孤独感と恐怖感に襲われました。私の顔色が相当悪かったらしく、とても心配してくださって、CT検査中もずっと手を握っていてくださりました。本当に温かかった🥲
1月に知ったのは、心配してくれる人のありがたさです。心配をかけたくない、みんなの前では明るく元気でいたい、迷惑をかけたくない、弱っているところを見せたくない、という気持ちとは裏腹に、直接言葉をかけたり、連絡をしてくれた、友人や先輩方、先生方にとても救われていました。1月の下旬まで2月の予定が決まらないことでゼミの先輩にはとても迷惑をかけてしまいました。私ができなくなってもゼミの運営に問題が無いように、お忙しいのに準備してくださり、精神的に追い詰められていた中で1番欲していた言葉をかけてくださったゼミの先輩や、離れていても寄り添ってくれた8年来の親友には特に助けられました。
私が2,3月の手術を希望していたのは4月から実習が始まり、実習はあまり休むと留年する可能性があると知っていたためです。所属学部の教務の先生には病気が見つかってから検査で授業を休むこともあっため、早めに連絡していて、数日の欠席なら進級に問題はないが、あまり長期間になるならば相談になると言われていました。そのため、4月になってしまったら留年が現実のものになると考えていて、大学病院で2,3月の手術が厳しいと言われたとき、診察室で幼少期以来初めて人前で泣いてしまいました。
絶望する中で、母が明るい方を見るしかないよ、人生に無駄なことなんて1つもないんだよと言葉をかけてくれて、段々と何とかなるかなと考えられるようになっていきました。2月9日から2月29日まで自分の病気のことから少し距離を置ける期間を得られたことが精神的に回復するためにはとても大事な期間でした。その期間に部活に行ったり、ゼミで発表をしたり、研究室に入ってみたり、学生団体の活動に参加したり、友達とごはんに行ったり、教習所に行ったり、映画を見たり、夏休みの旅行の予定を立てたり、バイトをしたり、洋服を買ったり、本を読んだり、と日常生活を楽しみ、今できる挑戦もして、人の優しさに触れる中で新たな目標や希望を見つけることができました。まだ私にはやりたいことや楽しみなことがたくさんある、今できることがたくさんあると思えたんです。当初立てていた予定が全てなくなって何もできないと思っていた春休みでしたが、楽しく過ごせています。
昨日、手術日が4月1日に決定しました。4月の第1週は欠席することになってしまい、術後の安静期間は車椅子になってしまうかもしれませんが、授業には少しずつ復活できそうです。
先輩から実習は4月中は座学が中心なので欠席も進級にはあまり問題ないという情報を聞き、留年の可能性は薄れてきました。本当に安心しました。
ここまで長文になりましたが、読んでくださりありがとうございました☺️
良い春をお迎えください🌷
去年の桜の写真🌸