皇室にも「チェンジ」の波がついに押し寄せたのか。秋篠宮家の長男で、皇位継承順位第3位の悠仁さま(3)が、来春、お茶の水女子大学付属幼稚園へ入園することが決まった。皇族の学校としてセレブなイメージを保ってきた学習院関係者の間では、この歴史的な「政権交代」に落胆の声が広がっている。
「孟母三遷(もうぼさんせん)」の例を引くまでもなく、幼児の教育には環境がきわめて重要である。しかもその幼児が、いずれ「国民統合の象徴」となるべき存在であれば、親や周囲が熟慮を重ねて、最良の環境を求めようとするのは当然だろう。
秋篠宮家が長男悠仁(ひさひと)さまのために選んだのは、皇族のほとんどが学んだ学習院幼稚園ではなく、お茶の水女子大学付属幼稚園だった。
このニュースが12月3日に、メディアで一斉に報じられると、学習院周辺の空気は張りつめた。翌朝、登園する園児を送ってきた母親たちに感想を聞こうと、
「ひさ(ひとさまが)……」
と話しかけると、微笑んでいた顔が途端にこわ張り、無言で立ち去られた。
学習院広報課は、
「秋篠宮家が決められたことなので、(事情は)こちらではわかりかねます」
と答えるばかりだが、宮内庁関係者はこう明かす。
「学習院は、悠仁さまが入園されないことを、ニュースが流れるまで知らされていなかった。みんな周章狼狽(しゅうしょうろうばい)したようです」
初等科から大学まで学習院で学んだ池坊保子(いけのぼうやすこ)元文部科学副大臣はこう嘆く。
「学習院は皇族が通うのが前提の学校。本当に良い学校なのに、なぜお通いにならないのか。お茶の水を選ばれたと聞いて、『学習院が否定された』と思う人もいるでしょうね」
言うまでもなく、学習院のルーツは皇族や華族のための学校だ。
宮内庁編纂の「孝明天皇紀」によると、学習院の前身の「学習所」が京都御所日御門前で開講したのは弘化4(1847)年。公家の子弟が学問を通じて道義を身につけ、風儀を改めさせることが目的だった。
1884年に宮内省所轄の官立学校となり、1926年の「皇族就学令」で、皇族は学習院で学ぶことが原則とされた。
戦後の1947年に私立学校になったが、天皇陛下をはじめ、生まれながらの皇族は全員、学習院で教育を受けている。紀子さまも初等科から学習院。秋篠宮家の長女眞子(まこ)さまと次女佳子(かこ)さまも幼稚園から在籍した。
ちなみに、学習院の幼稚園は戦後いったん廃止されたが、皇太子さまの入園に備えて1963年に復活した。
にもかかわらず、なぜ悠仁さまの進学先はお茶の水になったのか。宮内庁によると、秋篠宮家では、
「同世代の子どもと交わる機会を早い時期に増やすためにも、教育的にも3年間の一貫保育が望ましい」
と考え、2年保育の学習院ではなく3年保育のお茶の水を選んだという。
別の宮内庁関係者はこの見方を補足する。
「子ども社会に早く適応させたいと思っても、皇族のお子さまが気軽に公園デビューすれば大騒ぎになる。同世代の子どもと過ごす機会はほとんどない。それを補うため、例えば愛子さまは3歳のころから『こどもの城』に通っていました」
眞子さまと佳子さまも学習院に入園する前に他の教育施設で学んでいる。
しかし、今回は最初からお茶の水を選んだ。
母である紀子さまとお茶の水女子大学との縁は深い。日本学術振興会の名誉特別研究員である紀子さまは、今年から同大に研究室を持ち、健康と心理学をテーマに研究している。同大では昨年度、子どものいる女性の研究者を支えるために、幼稚園や初等科などの「特別入学制度」を新設し、紀子さまが制度の適用第1号となった。大学関係者の話。
「紀子さまの指導教官は羽入佐和子(はにゅう・さわこ)学長です。紀子さまはこの春から14回も大学に通い、学長ら大学関係者と交流を深めてきた。悠仁さまの進学先を考えるため、多くの教育専門家と相談したようです」
その結果、お茶の水女子大付属幼稚園に白羽の矢が立った。
ここは1876年に設立された日本最古の幼稚園だ。学習院幼稚園との「校風」の違いについて、幼稚園・小学校のお受験塾「伸芽会(しんがかい)教育研究所」の佐藤真理さんはこう解説する。
「学習院は皇族が通っているためブランド力が強く、私立の中でも五指に入る人気幼稚園です。皇族を受け入れてきた伝統を踏まえ、質実剛健で躾(しつけ)がきびしい。子どもに『静かに待ってましょうね』と我慢や忍耐力を求めます。お茶の水は国立の中でもいちばんの難関で、教育水準は高い。おおらかな校風ですが、自分の意見を表現できる子や反応のいい子が好まれます」
そうした違いを反映しているのか、東京都文京区にあるお茶の水女子大を訪ね、園児を送ってきた30代の母親に感想を求めると、
「マスコミの取材には答えないように、幼稚園からきつく言われてるんです。でも光栄に存じます」
と気さくな答えが返ってきた。
お茶の水には教育内容以外にも魅力がある。私立の学習院と違い、国立なので入園料や保育料が格段に安い
「秋篠宮家の財布である皇族費は年間約5500万円で、膨らむ交際費や人件費などを考えると、家計はけっして楽ではない。悠仁さまが国立の幼稚園に進学するのは、経済的な側面もあるのでは」(宮内庁OB)
そんな副次的メリットもあるのだ。
お茶の水では、男子生徒も中学校まで在籍できる。
「中学校をどうされるかはわかりませんが、せっかくできたお友達と別れさせるのもかわいそうですから、少なくとも小学校まではお茶の水に在籍するお考えのようです」(宮内庁幹部)
となると、人格形成にとって最も重要とされる幼児期から児童期にかけた9年間を、学習院ではなくお茶の水で過ごすことになるわけだ。
皇室の歴史からすれば、これは改革の域を超えた革命的事態と言えるだろう。
他方、「将来の天皇陛下」に見限られたかたちとなった学習院のダメージは深刻だ。
ただでさえ、昨今は学習院のイメージを悪化させる「事件」が相次いでいる。
00年に前学習院女子中・高等科科長(当時)が失踪し、後に、埼玉県の山中で白骨化した遺体が発見された。先物取引の借金を苦にした自殺ではないかと報じられた。
早稲田大学のサークル「スーパーフリー」のメンバーによる集団強姦事件でも、03年に学習院大1年生が逮捕され、懲役6年の判決が確定した。
眞子さまと佳子さまの授業も担当した学習院女子中・高等科の若手男性教諭が教え子を「強姦」した容疑で、警視庁が今年8月に学校を強制捜査したことは、本誌がスクープした。
また、学習院OBの麻生太郎氏が首相だった昨年11月、母校で開かれた日中青少年友好交流年の閉幕式に出席し、
「ちょうど半年前の今日、四川省で発生した大震災、『みぞうゆう』の自然災害というものを乗り越えて……」
と「未曽有」を誤読し、支持率低下の引き金を引いたことは記憶に新しい。
セレブの憧れた学習院ブランドも、すっかりくすんでしまった感がある。
クイズ番組の解答者としても人気を博した篠沢秀夫学習院大名誉教授は、秋篠宮さまが中等科時代から乗馬クラブを通じて親しく接してきたが、今回のニュースにショックを隠せない。
「世間も本人も、下から学習院に進んだ人のことを、『エスカレーター上がり』とマイナス評価しがちだ。秋篠宮殿下は大学時代、私が学習院大出身だと知って、お会いするたびに、『先生の学年には教授になってる人、多いですよね』と話題になさった。学習院出身でも教授になれる人がいるのだ、と認識して喜んでおられた。その直後、学習院の下からの下級生だった紀子さまと婚約された。『学習院大学だって大丈夫なんだ』と認識されたのだ。お子さまの進学についてどのようにお決めになろうと、私は秋篠宮殿下の学習院大学についての認識を信じている」
だが、現実には、秋篠宮家の眞子さまは、学習院女子高等科から国際基督教大学へ進む決断をした。
旧皇族の竹田家の出身で、慶応義塾に幼稚舎から大学まで通った竹田恒泰(つねやす)氏は、こう振り返る。
「明治期の学校はどこも天皇のご真影を飾ることが義務づけられていましたが、慶応義塾だけは『そんな大切なものを飾るにふさわしい場所がない』と理屈をこねて飾らなかった。両親がそのような校風を気に入ったのかもしれません」
また、ある宮家関係者は、「秋篠宮ご夫妻は、悠仁さまが学習院で皇族としてちやほやされることや、交友関係が狭まることを危惧したのではないか」
と推し量る。
元教師で教育評論家の尾木直樹法政大教授は、皇族教育をめぐる「政権交代」をこう分析する。
「秋篠宮家がお茶の水を選んだのは、学習院で皇室社会への適応力を育むよりも、一般社会との接点を増やし、豊かな人間関係の構築をより重視する方向に、皇室がチェンジしようとしていることの証左でしょう」
世はおしなべて「改革の季節」だ。だれよりも伝統にこだわると思われた皇室のほうが、どうやら学習院よりも自己変革力が高かったようである。
by週刊朝日
「孟母三遷(もうぼさんせん)」の例を引くまでもなく、幼児の教育には環境がきわめて重要である。しかもその幼児が、いずれ「国民統合の象徴」となるべき存在であれば、親や周囲が熟慮を重ねて、最良の環境を求めようとするのは当然だろう。
秋篠宮家が長男悠仁(ひさひと)さまのために選んだのは、皇族のほとんどが学んだ学習院幼稚園ではなく、お茶の水女子大学付属幼稚園だった。
このニュースが12月3日に、メディアで一斉に報じられると、学習院周辺の空気は張りつめた。翌朝、登園する園児を送ってきた母親たちに感想を聞こうと、
「ひさ(ひとさまが)……」
と話しかけると、微笑んでいた顔が途端にこわ張り、無言で立ち去られた。
学習院広報課は、
「秋篠宮家が決められたことなので、(事情は)こちらではわかりかねます」
と答えるばかりだが、宮内庁関係者はこう明かす。
「学習院は、悠仁さまが入園されないことを、ニュースが流れるまで知らされていなかった。みんな周章狼狽(しゅうしょうろうばい)したようです」
初等科から大学まで学習院で学んだ池坊保子(いけのぼうやすこ)元文部科学副大臣はこう嘆く。
「学習院は皇族が通うのが前提の学校。本当に良い学校なのに、なぜお通いにならないのか。お茶の水を選ばれたと聞いて、『学習院が否定された』と思う人もいるでしょうね」
言うまでもなく、学習院のルーツは皇族や華族のための学校だ。
宮内庁編纂の「孝明天皇紀」によると、学習院の前身の「学習所」が京都御所日御門前で開講したのは弘化4(1847)年。公家の子弟が学問を通じて道義を身につけ、風儀を改めさせることが目的だった。
1884年に宮内省所轄の官立学校となり、1926年の「皇族就学令」で、皇族は学習院で学ぶことが原則とされた。
戦後の1947年に私立学校になったが、天皇陛下をはじめ、生まれながらの皇族は全員、学習院で教育を受けている。紀子さまも初等科から学習院。秋篠宮家の長女眞子(まこ)さまと次女佳子(かこ)さまも幼稚園から在籍した。
ちなみに、学習院の幼稚園は戦後いったん廃止されたが、皇太子さまの入園に備えて1963年に復活した。
にもかかわらず、なぜ悠仁さまの進学先はお茶の水になったのか。宮内庁によると、秋篠宮家では、
「同世代の子どもと交わる機会を早い時期に増やすためにも、教育的にも3年間の一貫保育が望ましい」
と考え、2年保育の学習院ではなく3年保育のお茶の水を選んだという。
別の宮内庁関係者はこの見方を補足する。
「子ども社会に早く適応させたいと思っても、皇族のお子さまが気軽に公園デビューすれば大騒ぎになる。同世代の子どもと過ごす機会はほとんどない。それを補うため、例えば愛子さまは3歳のころから『こどもの城』に通っていました」
眞子さまと佳子さまも学習院に入園する前に他の教育施設で学んでいる。
しかし、今回は最初からお茶の水を選んだ。
母である紀子さまとお茶の水女子大学との縁は深い。日本学術振興会の名誉特別研究員である紀子さまは、今年から同大に研究室を持ち、健康と心理学をテーマに研究している。同大では昨年度、子どものいる女性の研究者を支えるために、幼稚園や初等科などの「特別入学制度」を新設し、紀子さまが制度の適用第1号となった。大学関係者の話。
「紀子さまの指導教官は羽入佐和子(はにゅう・さわこ)学長です。紀子さまはこの春から14回も大学に通い、学長ら大学関係者と交流を深めてきた。悠仁さまの進学先を考えるため、多くの教育専門家と相談したようです」
その結果、お茶の水女子大付属幼稚園に白羽の矢が立った。
ここは1876年に設立された日本最古の幼稚園だ。学習院幼稚園との「校風」の違いについて、幼稚園・小学校のお受験塾「伸芽会(しんがかい)教育研究所」の佐藤真理さんはこう解説する。
「学習院は皇族が通っているためブランド力が強く、私立の中でも五指に入る人気幼稚園です。皇族を受け入れてきた伝統を踏まえ、質実剛健で躾(しつけ)がきびしい。子どもに『静かに待ってましょうね』と我慢や忍耐力を求めます。お茶の水は国立の中でもいちばんの難関で、教育水準は高い。おおらかな校風ですが、自分の意見を表現できる子や反応のいい子が好まれます」
そうした違いを反映しているのか、東京都文京区にあるお茶の水女子大を訪ね、園児を送ってきた30代の母親に感想を求めると、
「マスコミの取材には答えないように、幼稚園からきつく言われてるんです。でも光栄に存じます」
と気さくな答えが返ってきた。
お茶の水には教育内容以外にも魅力がある。私立の学習院と違い、国立なので入園料や保育料が格段に安い
「秋篠宮家の財布である皇族費は年間約5500万円で、膨らむ交際費や人件費などを考えると、家計はけっして楽ではない。悠仁さまが国立の幼稚園に進学するのは、経済的な側面もあるのでは」(宮内庁OB)
そんな副次的メリットもあるのだ。
お茶の水では、男子生徒も中学校まで在籍できる。
「中学校をどうされるかはわかりませんが、せっかくできたお友達と別れさせるのもかわいそうですから、少なくとも小学校まではお茶の水に在籍するお考えのようです」(宮内庁幹部)
となると、人格形成にとって最も重要とされる幼児期から児童期にかけた9年間を、学習院ではなくお茶の水で過ごすことになるわけだ。
皇室の歴史からすれば、これは改革の域を超えた革命的事態と言えるだろう。
他方、「将来の天皇陛下」に見限られたかたちとなった学習院のダメージは深刻だ。
ただでさえ、昨今は学習院のイメージを悪化させる「事件」が相次いでいる。
00年に前学習院女子中・高等科科長(当時)が失踪し、後に、埼玉県の山中で白骨化した遺体が発見された。先物取引の借金を苦にした自殺ではないかと報じられた。
早稲田大学のサークル「スーパーフリー」のメンバーによる集団強姦事件でも、03年に学習院大1年生が逮捕され、懲役6年の判決が確定した。
眞子さまと佳子さまの授業も担当した学習院女子中・高等科の若手男性教諭が教え子を「強姦」した容疑で、警視庁が今年8月に学校を強制捜査したことは、本誌がスクープした。
また、学習院OBの麻生太郎氏が首相だった昨年11月、母校で開かれた日中青少年友好交流年の閉幕式に出席し、
「ちょうど半年前の今日、四川省で発生した大震災、『みぞうゆう』の自然災害というものを乗り越えて……」
と「未曽有」を誤読し、支持率低下の引き金を引いたことは記憶に新しい。
セレブの憧れた学習院ブランドも、すっかりくすんでしまった感がある。
クイズ番組の解答者としても人気を博した篠沢秀夫学習院大名誉教授は、秋篠宮さまが中等科時代から乗馬クラブを通じて親しく接してきたが、今回のニュースにショックを隠せない。
「世間も本人も、下から学習院に進んだ人のことを、『エスカレーター上がり』とマイナス評価しがちだ。秋篠宮殿下は大学時代、私が学習院大出身だと知って、お会いするたびに、『先生の学年には教授になってる人、多いですよね』と話題になさった。学習院出身でも教授になれる人がいるのだ、と認識して喜んでおられた。その直後、学習院の下からの下級生だった紀子さまと婚約された。『学習院大学だって大丈夫なんだ』と認識されたのだ。お子さまの進学についてどのようにお決めになろうと、私は秋篠宮殿下の学習院大学についての認識を信じている」
だが、現実には、秋篠宮家の眞子さまは、学習院女子高等科から国際基督教大学へ進む決断をした。
旧皇族の竹田家の出身で、慶応義塾に幼稚舎から大学まで通った竹田恒泰(つねやす)氏は、こう振り返る。
「明治期の学校はどこも天皇のご真影を飾ることが義務づけられていましたが、慶応義塾だけは『そんな大切なものを飾るにふさわしい場所がない』と理屈をこねて飾らなかった。両親がそのような校風を気に入ったのかもしれません」
また、ある宮家関係者は、「秋篠宮ご夫妻は、悠仁さまが学習院で皇族としてちやほやされることや、交友関係が狭まることを危惧したのではないか」
と推し量る。
元教師で教育評論家の尾木直樹法政大教授は、皇族教育をめぐる「政権交代」をこう分析する。
「秋篠宮家がお茶の水を選んだのは、学習院で皇室社会への適応力を育むよりも、一般社会との接点を増やし、豊かな人間関係の構築をより重視する方向に、皇室がチェンジしようとしていることの証左でしょう」
世はおしなべて「改革の季節」だ。だれよりも伝統にこだわると思われた皇室のほうが、どうやら学習院よりも自己変革力が高かったようである。
by週刊朝日