私は、まだまだ若い世代のつもりでいるが、数十年前と比べても、時間の進むテンポが、相対的にずいぶん速くなったような気がする。私はそれが、いちがいに悪いことだとは思わない。効率化が進み、時間を有効に使えるようになるのであれば、それは有意義なことであろう。
たとえば、鉄道の所要時間にしても、新幹線の東京⇔博多間の所要時間は、かつて約7時間であったが、今は最短で5時間を切っている。在来線でも、函館⇔札幌間の特急列車の所要時間は約4時間から、最短3時間へと大幅にスピードアップした。その他の線区でも全般的に所要時間が短縮された区間は多く、それは航空機や、他の鉄道会社と競合している区間で顕著な傾向にある。また、郵便物の到着日数も、かつては近隣地域宛のものでも、2~3日はかかったが、現在は、かなり遠隔地宛のものでも、翌日に着くこともある。書籍を注文すれば、昔は入荷まで数週間は待たされたものだが、現在では、早ければ翌日に自宅に配送される。確かに便利になったものである。
しかし、この便利さと引き換えに、失ったものもあるのではないだろうか?あまりにも目まぐるしい世の中の動きに振り回されてしまったり、忙しい毎日を送り過ぎて、静かに自分の内面を見つめることなど、すっかり忘れてしまっているのが、多くの現代人の姿ではないだろうか?困ったことに、内観の実践がなされなければ、私たちは、自らのたましいの浄化と向上という、生まれてきた目的を達成することは困難なのである。
浄化と向上とは、人生で出会う様々な経験から教訓を学び、霊的真理に沿った方向に自分を変えていくことに他ならない。喜怒哀楽の様々な感動を味わい、気づいた欠点は修正し、良いところはさらに伸ばしていくようにすることだ。小我の自己を戒め、大我の自己をいっそう輝かすこととも言えよう。そのためには、内面を見つめ、経験する出来事の中に映し出された、自らの客観的な姿に気づき、問題点を自己分析する内観の習慣を欠かすことは出来ないのである。
このような目まぐるしく変動する時代であるからこそ、私たちにとっては、自らの意識を内面に向ける時間を持つことが重要なのである。たとえそれが、1日に5分か10分の時間であっても、どうしても必要な時間なのだ。
しかしながら、日常生活の中で、物質的価値観に紛れ、物質的な波動に紛れた小我の意識では、すぐには自己の内面と向き合うことは困難だと思う。自らの内面と向き合うには、大我の意識に切り替えなくてはならないからである。内観とは、言い換えれば、大我の意識で自己を客観視することだとも言えるだろう。小我の意識で自分を見ても、小我は基本的に物質的価値観に基づく利己主義だから、自分に都合の良い見方をしてしまい、客観視することは出来ないのである。
それでは、自分の意識が小我にとらわれて、大我の意識に切り替えることが出来ない時はどうすればよいのであろうか?大我とは神我でもある。神我とは、神の一部であり、その属性を十分に発揮していないとはいえ、本来は神そのものなのである。だから、神は神に反応し呼び起こされるのだ。神とは何であろう?神とは真・善・美と愛である。私たちは、真・善・美と愛に触れると、自らの神我の中の真・善・美と愛が呼応し、表面化してくるのである。
だから、大我の自己が分からなくなったら、真・善・美と愛に触れることだ。たとえば真に触れる。真理の言葉に触れることだ。江原啓之先生のご著書などが最適であろう。たとえば美に触れる。美しい音楽を聴いたり、美しい絵画や景色を観る。音楽はジャンルは限定しないが、現世的波動を避けるために歌詞を伴った歌の入ったものは避け、聴いているうちにリラックスして、落ち着くものがよいであろう。個人的にはクラシック音楽、中でもバッハやヘンデルなどのバロック音楽やモーツァルトなどがお勧めである。絵画や景色は、毎日、本物を観るのは困難であろうから、絵画集や写真集などでも構わないが、本物の作品や、景色を観たことのある所のものだと、いっそう効果的だと思う。たとえば愛、今までに自分に真実の愛、無償の愛を向けてくれた人や、自分が無償の愛で愛した人に思いを馳せる。その人の顔を思い浮かべてもいいし、その人の写真を見てもいいだろう。その感動が、再び自らの大我の愛を呼び覚ますだろう。
初めのうちは、20~30分かかるかもしれないが、徐々に、もやが晴れるように、すっきりとした自らの大我の意識が呼び起こされてくることと思う。そして、その大我の意識で、自己を見つめてみるのである。今までとてつもなく困難な問題に思えていたようなことが、大我の意識で、霊的価値観を基盤にして考えてみると、悩むほどのこともない小さなことに思えたりするものである。なぜならば、どうすればいいのか、霊的視点から自らのやるべきことが分かるからである。こうなれば、その問題は克服されたも同然であろう。実は、小我の自分が、物質主義的価値観に紛れて作り出した問題を、小我の自分に解決させようとしていたから、解決出来なかっただけ。そのようなことが多いものなのだ。
初めは時間がかかっても、慣れれば、ずっと短い時間で大我の意識に切り替えられるようになるはずだ。数分、いや、イメージしただけで数秒で切り替えることも不可能ではないと思う。でも、もっと理想的なのは、日常生活を送りながらも、物質主義的価値観に紛れることなく、常に真・善・美と愛を意識し、大我の意識でもって、現世を生き抜いていくことだと思う。これは霊界任せ、霊界主体の生き方をするということとは違う。物質界に生きながらも、大我の自分を主人公として、物質に翻弄されることなく、物質を教材として利用して、自らをさらに輝かしていくことなのだと思う。
現世にいる限りは肉体があるので、100%大我で生きることは不可能ではあるが、少しでも、この理想に近づこうと努めることは出来ると思う。大我の意識で日常生活を送ることが出来る時間を増やすには、日々の暮らしの中の区切り区切りで、大我の自分をイメージし、意識するようにするとよいと思う。たとえば、休憩時間、トイレに行く時間、食事の時間など、日中でも何度か意識の流れを変えるチャンスがある。その後、ずっと大我の意識でいることは出来なくても、しばらくは持続するし、日に何回かこのようなポイントを設定していると、完全に物質主義的価値観に紛れて、大我の自分を見失うようなことはなくなってくるだろう。