江原スピリチュアリズムの実践日記④

江原スピリチュアリズムの実践日記④

日常の気づきやさまざまな社会の事象を「霊的真理」に基づいて綴るブログです。

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一昨日も埼玉で交際相手の男性の虐待によって、4歳の男の子が亡くなった。


「またか・・・」


いつも幼い命が虐待の犠牲になっている。


いつまでこんな悲しい事件が続くのだろう。


ほとんどのパターンが内縁の夫や交際相手によるものである。


女性である前に既に母親であることを忘れてしまっている。


色恋沙汰に目が眩み、親としての義務や母性まで見失ってしまっている。


恋人に嫌われたくないという一心で、暴力を制する事もできないのか?


この事件の場合「自分はは暴行していないが、彼の暴行を止めるつもりもなかった」と供述している。


自分の恋愛の為に子供は邪魔者扱いということか?


この交際相手との出会いも「波長の法則」が働いているはずである。


子供の事も考えた将来を見据えた発展的な付合いを求めていたのだろうか?


自分が寂しさを埋められればいいという小我な波長が、やはり自分の事しか考えられぬ小我な彼を引き寄せたのだろう。


報道を通じて私たちに入ってくるこういった事件を、自分にも起こり得る事かもしれないと捉え、教訓としていかなければ、いつまで経ってもこのような事件は無くならないだろう。


でなければ報道される意味が無い。

「真・善・美」に触れると人は感動する。


なぜ涙が溢れてくるのかわからない時がある。


私たちの「たましい」の「神我」の部分が揺さぶられたのだろう。


音楽や舞台、映画などの芸術に触れるという事が、どれほど大切なことか最近になってようやくわかってきたような気がする。


人は「真・善・美」を目の当たりにし、感動すればするほど、人生を間違った方向には向かわせない働きがあるように思う。


もちろん日常の生活の中で「真・善・美」に触れる事が一番だと思うが、なかなか待っていて来るものではない。


カルマの法則からもわかるように、自分がアクション(因)を起こしてこそ、得られるもの(果)であると思う。


仕事に追われて時間が無いという人も、時間を作る事が下手なだけ、又はそういう状況を自分が望んでいる人もいるのではないだろうか。


芸術を鑑賞する「心のゆとり」が、現代の日本人に必要なのではないかと思うのです。

私たちはつい不幸の数を数えがちになってしまう。


けれど不幸の数を数えても幸せにはなれない。


不平不満がつのり波長が下がってしまうからである。


そして本当は「不幸」など無い。


物質的価値観にまみれているからこそ不幸と思えるのであって、たましいの成長への負荷だと気付かなければならない。


私たちは中々幸せの数を数えられない。


不幸に思う事よりも、どれだけ幸せの数の方が多いか気付いていない。


生きている、食べられる、寝られる、動けるなど・・・


当たり前のような事も、どんな些細な事からも幸せを感じることができる。


そうすれば自然と「感謝」の気持ちが湧いてくる。


私たちは日々の生活の中で、どれだけ感謝できているだろうか?


自分を取り巻く人間関係にも感謝が必要である。


波長の法則からわかるように、人間関係は自分の心の映し出しである。


自分に関わる人は、鏡のように己の内面を見せつけてくれているので、改善すべき点を教えてくれた人なんだと感謝できるはずである。


そしていつも親のような愛で見守ってくれている守護霊などの霊的存在にも。


自分に関わる全ての人たちへの感謝は、素直で前向きな気持ちとなり、高い波長を引き寄せる。


高い波長でいる事が本当の幸せにつながるのであれば、「感謝」は本当の幸せを得るのに不可欠であると言えるだろう。