何度言ってもわかってもらえない。
どうしてもイライラさせられる人というのはどこにでもいるものだ。


その人を変えようと一生懸命努力する人が多く、いつかわかってくれると思い、
またいつか変わってくれると思って頑張ってみるものの多くの時間だけが過ぎていく。


変えられないことを変えようと四苦八苦している間に時間はあっという間に過ぎ去ってしまう。


この世では時間は限りあるもの、無駄には使いたくない。


しかし、うまくいかず悩み続けている人も多いのではないか?


同じ波長で引き寄せあった、その人との出会いは必ず意味のあること。


イライラさせられると言うのは、やはりその人の中に自分が重なる部分があるのだろう。
イライラさせられる人を見れば、その人の中に自分を見つけることができる。


では、自らが波長で引き寄せた相手を通じて、出会った意味を気付くだけでいいのだろうか?


行動が伴っていないと気付いたことにならない。



それは、自らが変わること。



相手を変える努力をするよりも、鏡で見せ付けられた自分の未熟な部分を反省点として内観し、
自らを変えることに時間を使うべきなのだ。


今からすべきことは、相手に注意を払うことではなく、自らをコントロールできることに注意を払う。


あなたを見てその人もきっと気付くはずである。






私達は毎日なんらかの選択を繰り返している。
深く悩み考えて選択している場合もあれば、無意識に習慣として選択している場合もある。

自分に起きる出来事ひとつとっても、決断した後本当に良かったかどうか迷うことも多い。

人間関係、仕事、お金、健康、自身で決断し行動していかなくてはならない。


その際、是非参考にして欲しいことがある。


大我か小我か?


大我とはどういう意味か?

世のため、人のため、社会全体、世界全体、人類全体のために尽そうとする心。
見返りを求めず、条件をつけない無償の愛。


小我とはどういう意味か?

自分の利益、自分の快楽だけを中心に考え、目に見えるもので測ろうとする心。



いくつか例をあげてみたい。


「愛」


「こんなに愛しているのに」…裏切られた、…愛してくれない、…理解してくれない。
相手にとってありがた迷惑な愛、見返りをいつも期待している愛、相手を縛りつける愛。
このような愛は「小我の愛」



「借金」


いい人に思われたい…、冷たい人と思われたくない…、自分が困ったときに助けてもらいたい…、

など思っていませんか?




選択したことが大我か小我なのかは誰も教えてくれない。

唯一、教えてくれるものは、波長の法則とカルマの法則。


やはり、自分自身で曲がることのないしっかりした軸をもたなければならない。


常に「大我」なのか「小我」なのかという視点に立って選択していきたい。





自分にとって都合の良くないことや、悪い出来事が起きたとき、理不尽なことに遭遇したり、
信用している人に裏切られりしたとき、気持ちが落ち込み、恨みを募らせてしまうこともある。


そうすることで、どんどん自分の波長が下がり深みにはまってしまう。


本当に悪い事は、その出来事に悪影響を必要以上に受けてしまう自分の弱さ。


悪い出来事もすべて必然、必要だから起きたこと。


何の為に必要か?


すべてはたましいの成長のため。

たましいの為に必要なことであるならば、出来れば避けたいこトラブルでも、
いつか必ずそのトラブルは経験することになる。


逃げる努力は無駄なことかもしれない、まず、受け入れて立ち向かってはどうか。


私自身、過去辛く悲しい不安にさいなまれた時代があった。その時代を乗り越えたから今の自分がある。

その過去を変えられたとしても、私は過去を変えたいとは思わない。



素直な気持ちですべて受け入れ、何故必要であったかを内観する。