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娘が拒食症や不登校になったとき、

「なんで?」という気持ちと「やっぱり」という気持ちが

両方ありました。

 

「やっぱり」というのも変な話ですが、

私はそれまで娘と真正面から向き合っていなかったのです。

 

 

娘が小学生にあがる頃、静岡から主人の実家の東京へ転居し、

いわゆる二世帯暮らしが始まりました。

 

とはいえ

義母は、糖尿病からの脳梗塞で寝たきりになり長期入院中。

義父は、急性骨髄性白血病のため、これまた別の病院で長期入院中。

 

私にとって子どもを連れた東京生活スタートは

義両親の病院通いで幕を開けたのでした。

 

別々の病院へ入院していたので、

ほぼ毎日交互に病院へ通う毎日。

 

義父は気が強い豪快な人で、

私たちのやり方にも孫の育児にも口を出し、

自分の気に入らないことがあると威圧的な態度に出る人でした。

 

なので、病院通いということより、

義父の様子を見に行かなければいけない、

ということに対して、非常に精神的に辛かった。

 

とにかく義両親のことでいっぱいいっぱいで

子どもたちのほうに真摯に向き合う余裕がなかった。

 

そんな中娘はチック症も発症。

学校でクラスの子にいじめられていたようでした。

 

娘にきちんと向き合わなければならない。

そんなことはアタマでは分かっている。

 

でも、自分自身にゆとりがなかった。

笑顔で子どもたちに接することなんてできなかった。

 

義両親が相次いで亡くなったあとは

間をおかず仕事を始めたので、

今度は自分のことで精一杯になってしまった。

 

娘はいじめられていたのに、

気持ちは娘のほうを向いていなかった。

 

そんな感じだったから、

娘は私の顔色を伺うようになり、

自分の気持ちを伝えることのできない

もどかしさを感じていたのかもしれない。

 

学校でどんなに辛いことがあっても、

先生にも言えず、友達もおらず、

親にも辛い気持ちを打ち明けることができず、

我慢していたに違いない。

 

私はうすうす気づいていたのだけれど、

向き合うのが怖かった。

 

なんとかごまかしごまかしやっていこうとした。

 

でも娘が拒食症になって、やっと

 

「それではいけない」

「一から育て直さないいけない」

 

と気づかされた。

 

 

拒食症・不登校は当事者だけでなく、

親にとってもしんどいことです。

 

しかし娘が拒食症にならず、

今も自分の気持ちを押し殺したまま生活していたとしたら、

今ほど親子関係はよくなっていなかったと思います。

 

そう思うと、拒食症はいろんな意味で

なるべくしてなったのかな・・・と思います。